たとえば朝起きて支度をするとき。必ず目に留めるものがある。2つの小さな馬の置物と1つの女の子のお人形。前者は兄弟の母親に後者はあたしに、幼いころ幼馴染の兄弟が渡してくれたもの。無意識に出てくる欠伸を何とかかみ殺してあたしはそれらを見つめる。あいつらだって頑張ってんだからあたしも頑張らなくちゃ。ぱしり。ぺちん。両頬を叩いてあたしは一気に眠気を覚まそうとする。

 たとえば仕事をしているとき。できるだけ丁寧に、できるだけ精密に、できるだけ動かしやすいように、できるだけ相手が満足してくれるように、あたしは機械鎧を整備する。そのときに。カン。小さな部品が作業台から落っこちた。小さな小さなその部品は、小さな小さなひびを見せた。やってしまった。がっくりとあたしは肩を落とす。大事な部品を壊してしまった。そのことにあたしはショックを受ける。うそでしょ?うそなんでしょ?うそって言ってよ!!心の絶叫はとまらない。それと同時に『あいつ』と違って部品を大切に扱う自分が、それを壊してしまった事実に衝撃が走る。規模は違うが、散々『あいつ』に壊すなと言っていたのに、自分がこれでは世話がない。ははっと乾いた笑いをした後にあたしは周りをきょろきょろ見渡す。誰にも何にも見つからないように、あたしはゴミ箱までの距離を目測する。見つかってももう何か云う相手はいないのだけれども、それは一種の反射のようにあたしの行動を制限する。

 たとえば夕飯を作っているとき。鍋からオタマを取り出したあともくるくると回るスープを見ながらあたしはふと考える。今は夜の8時すぎ。たいていの人間はもうすでに夕食を終える時間帯だ。けれどあいつらは食事をとったのだろうか。特に『あいつ』はものぐさだから、何も食べてない可能性も無くはない。昔この家に帰ってきたとき、豪快に食べ物をお腹に詰めていく『あいつ』に、今まで何食べてたのよと問い詰めた。その応えは白々しく逸らされた目線。だからその可能性は大いにありうる。はぁ、と知らず漏れるため息。何であたしはこんなこと考えてるのかしら。あいつらの世界が今は夜なのかもわからないくせに。スープは遠心力で回り続ける。くるくる、くるくる。目が回りそうになったあたしは、もう一度鍋にオタマを突っ込んで渦巻く方向とは反対にスープをぐるぐるとかき混ぜた。くるくる、くるくる。それでもスープは回り続ける。それはまるであたしの心を映したようで、あたしは少し吐きそうになった。

 たとえば、そう、たとえばの話。あたしが何をしても『あいつ』を思い出せなくなったとき。そのときあたしは最高に幸せで、最高に不幸せになるのだろう。『あいつ』という要素がなくなったあたしは、自由で、強く、何も感じられない人間になるのだろう。なんて賛嘆たる日々。なんて惨憺たる日々。けれど、確実に、その日まで。嗚呼、嗚呼!あたしのすべてがあなたへとかえっていく。


(なにをしてもおもいだすのはあなた。なきたくなるほどにあなた。それならばいったいあなたはこのおもいをどうしてくれようというのか)



すべてがあな
いくてっ



(何だかお題/squeezed orange

「僕は忘れることも手放すことも出来なくて」と対になっております。