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沈んでいく沈んでいく何もかも全てをすべてを飲み込んでのみこんでたゆたって 、
マリンスノウ
目を覚ませば、辺りを包むのは闇だった。目が眩むほど、まばゆいほどの壮絶な闇。窓からは光がまったく入って来ておらず、実際カーテンから覗く空は幾らも白んではいなかった。まだ宵の只中であるのだろう。周りから騒がしい物音は聞こえてこない。静寂だけがその場を支配していた。
時計の秒針が動く音が、耳障りに響いてくる。部屋の柱がひび割れる音が、時たま煩く耳を打つ。実際今は何時であるのだろうか。オレは目覚めたばかりだというのに覚醒しきった頭で、そう考えた。眠ったのはつい先刻のことであるはずだ。少なくともオレはそう思っているし、身体の怠さもそれを物語っている。指一本、動かすのが億劫で仕方がない。
時計を仰ぎ見、時間を確認しようとしたが、結局は止めてしまった。確認しなくても、まだ起きだす時間でないことは確かだろう。それに何より、あまりの怠さに起き上がるのが面倒なことこの上ない。オレはシーツを手繰り寄せて、そして再び眠りにつくべく目を閉じた。
時計の秒針は定期的な速度でかちりとその音を打ち出していく。それはまるで人の脈のようだ。自分の意志とはまるで関係が無いところで、一定の速度が打ち鳴らされる。時を孕み、時を刻み、限界が来た時に突然事切れる。脈に呼応するように、時計の針が音を鳴らす。それとも秒針に呼応するように、脈が波打っているのか。
カチリと時を刻む音は、血脈に流れ込んで静かに強く全身に響き渡る。静かであれば静かなほど。眠ろうと、意識を集中させればさせるほど。まるで眠りを妨げるかのように、秒針音は絶え間なく身体を蝕んでいく。鼓動に導かれるように、オレは瞑っていた瞳を再びゆっくりと開いていった。
眠れない。身体は疲労を訴えているのに、眠れない。一度覚醒してしまった頭と瞳はそうそう眠ることを許さず、暗闇にオレを縛り付けようとする。まるでここにいるのはオレ一人だと、オレ一人だけがここに取り残されているのだと自覚させるように、暗闇はオレを包み込んできていた。
こんな風に目覚めることを、目覚めたあとの景色を、けれどオレは特に気にしてはいなかった。焦りも、してはいなかった。
夜中に目が覚めることは、よくあった。寝付けない日も、たまに続いた。それらは熱いからとか寒いからとかそんな外的要因なんかじゃなくて。もっと別の、けれどオレにはわからないわかりたくないわかりたくなかった、無意識の内情からくるものだ。
数ヵ月以前のオレだったら、そんな時は酒を飲んで無理矢理にでも寝ただろう。浴びるように飲んで、何も考えなくていいようにして、何も思い出さなくてもいいようにして、強制的に無の世界に行こうとした。そして今も、無意識の内に酒を求めていることがわかる。焼け付く潤いを欲するように喉が渇いて、オレは自嘲した。酒は、あの日にとうに止めたというのに。あの、すべてと決別したその日に、止めたというのに。オレは寝返りを打って、暗闇の中に視線をやった。
静寂を伴う暗闇は、真っ暗で何も見えはしない。光の無い世界は、何も映しはしない。けれど、耳を澄ませば、微かに寝息が聞こえてくる。
アルは、弟は、こうしてオレが度々起きていることを知らないだろう。どうか、知らないでいてほしい。知ってなど、いてほしくはない。あいつはずる賢いほどに頭の回るやつだから、きっと何でオレが起きているのか、眠れないのかわかってしまうだろう。それを、知られたくなどない。
そう思うのは、おそらく、無駄に高くなった兄貴としての意地だ。弱いところを、弟には見せたくない。酒に溺れる姿など、弟に見せたくはない。だから酒を止めた。いつでも、笑っていられた。冗談言って笑わせて笑って。
けれど、何かを思って、誰かを思って孤独に溺れる姿は、どうしても何をしても消すことは出来なかった。
当たり前だと思ってたんだ、全部。
羊が群れる草原も、のんびりと過ごす村の人たちも、オイルの匂いのする家も、優しく迎えてくる人たちも、あいつも。
全部、総て、当たり前だと思ってたんだ。当然だと、そう思ってたんだ。
空気みたいだと、思っていたんだ。特に、あいつは。あいつは、いつだってこうるさくオレに怒鳴ってきて、オレ達の心配ばっかしてて、笑って、泣いて、いっつも忙しそうにしてて。例え遠く離れていても、あいつとの縁が断ち切れるとは、思ってもいなかったんだ。
だけど、そうじゃなかった。そうじゃなくしてしまったのは、他の誰でもない、この、オレだ。
失くして初めて大切なものに気付くと言ったのは、果たして誰だっただろうか。
もう逢うことが無いと理解った日から、あいつとの想い出はオレの中で徐々に色濃くなっていった。髪を耳に掛けるしぐさも、口を大きく開けて笑う顔も、あいつに関することが次々と浮かんできて、頭を掠めていく。それはとても幸せな白昼夢で、そしてそれは決して現実ではないと悟らせる残酷な夢。
夢のあいつにも触る資格が、オレにはないだろう。浮かんで、そして消えていくあいつの想い出を、オレはただ手のひらを握り締めて、悔やむことしか出来ない。
思えば、オレはあいつの話をきちんと聞いてやったことがあったのだろうか。ちゃんとあいつと向き合ったことがあったのだろうか。
思い返すのは真剣な空色の眼差しと、逸らす自分。
何か言いたそうな青い瞳と、逃げ出すように去っていく自分。
もし、オレがあいつの話をちゃんと聞いてたら、こんなことにはならなかったのだろうか。そう考えて、けれどオレは首を振った。それは、考えても考えても、不毛なことでしかない。掠めゆく空色はただ脳裏に浮かんでは消えて、オレはどんなものも逃さないように、けれどいっそ何も見なくてもすむように、静寂を宿す暗澹に身を委ねた。
暗闇は、人に孤独を植え付ける。窓から一筋の光さえ入ってこないこの世界においては、シーツがぼんやりと白く映るこのベッドだけが切り離されているようで、まるで孤島に閉じ込められているみたいだ。泳いでも泳いでも、向こう岸には辿り着かない。優しい記憶の海はオレを絡めとって、藻掻いてもあがいても、オレを絶望の内に沈めていく。身体が動かない。指一本すら、動かすことが出来ない。
何も見えない暗闇はオレの身体を沈めて沈めて何もかも全てをすべてを飲み込んでのみこんでたゆたって、オレを柔らかで残酷な海の中に放り出す。
空気のいない世界は息苦しくて、それでもオレはそこで生きるしか許されなくて。オレは息苦しさを隠すように、最早皺くちゃになっているシーツをきつく握り締めた。
表題通り、スキマの同名曲がモチーフになってます。
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