「は」








「が」









「ね」









「のぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

「いやぁぁあぁぁあぁあああああああああああああああああ!」


 とある晴れた昼下がり。少女特有の甲高い叫び声が、東方司令部司令官執務室にこだました。



空色の軌跡



「出会っていきなり歓喜の叫び声をあげるなんて、やはり私に会えて嬉しいんだね?鋼の」
「何言ってるのよ。っていうか、ちょっ、お兄ちゃん。苦し…っ…」
 ただでさえ冷房節約とのことで暑苦しい執務室。わざわざそこにいる人物に報告書を渡しに行こうとしたら、あろうことか扉の前で待ち伏せされて、開けた瞬間に抱き締められた。
 ウィンリィは苦しさに彼の胸元を手で押し返そうとしたが、いまひとつ効果はない。それどころか益々ひっついてくる。
「鋼の〜!」
「だからお兄ちゃん。苦しいってば!ちょっ、アル!助けて!」
「ごめん、姉さん。ボクには兄さんを止める力はないよ」
 ウィンリィは慌てて後ろにいる弟に助けを求める。しかし、肝心の弟はあっさりと白旗をあげてしまった。ぎゅうぎゅうと締め付けてくるロイの腕。暑苦しいから何とか逃れたいが、両手が自分とロイの身体に押し潰されていて錬金術は使えそうにない。
 やはりここは左足で男の急所とやらを蹴りあげるしかないか。そうウィンリィが考えて行動に移そうとした瞬間。自分の右後ろから脚が飛び出して、見事にロイを吹っ飛ばした。
「何やってんだよ!このシスコン変態佐!」
「エドっ!」
 脚が出てきたほうを向いてみれば、そこには不機嫌そうな顔をしたエドワードがいた。
「き、君も来ていたのかね。エドワード」
「来ちゃ悪りぃかよ」
 けほけほとむせながらロイは吹き飛ばされた位置で立ち上がる。エドワードはそれを冷ややかな目線で見やる。
「いや、悪くはないが。久しいな」
「…………」
「だ、大丈夫なの?お兄ちゃん」
 ロイの呼び掛けにエドワードは答えない。代わりにウィンリィが自分のしようとしたことを忘れて心配そうに見つめている。それにロイは安心させるようににっこりと笑う。ぱんぱんと服の埃を落とす動作をしてから、ゆっくりとウィンリィに近づいた。
「何も心配はないさ。そうだ。お前の為に美味しい紅茶とお菓子を用意しておいたんだよ。今、司令室のほうで用意しているから行ってみなさい」
「ホント!?」
 沈んだ顔をしていたのに、紅茶やお菓子の話でウィンリィの水色の瞳はキラキラと輝きだす。我が妹ながらなんて単純な。そうは思いながらも、ロイはにこりと微笑む。
「もちろん、本当だとも」
「やった。行きましょ!エド!アル!」
「ああ。エドワードは残ってくれないか?」
「えっ!?」
 嬉々としてウィンリィは司令室に行こうとしていたが、ロイの言葉に何かを感じて怪訝に彼の方を振り返った。
 まさかさっきエドが蹴ったことについて叱咤するつもりなんだろうか。そのウィンリィの考えが彼女の顔に出ていたのか、ロイはくしゃりと少女の髪を梳く。
「別に彼を叱るつもりはないさ。ただ久しぶりに会ったんだ。少し話がしたいと思ってな」
「だったら司令室でだって…………」
「オレはいいぜ」
「エド!?」
 いつもなら真っ先にこの兄から離れたがるのにそうしないエドワードに、ウィンリィが驚いて振り返る。
 当の少年は飄々とした態度で、眼鏡を服の裾で拭いていた。粗方拭きおわって眼鏡を掛け直すと、にかりと少女の方を向いて笑う。
「お前ら先に行けって。オレもコイツと話しあっからよ」
 親指でロイを指しながら、エドワードは何の気なしに話す。ウィンリィは訝しげに彼を見つめるが、何を心配することがあるのだろうと思い直す。さっさと来なさいよーと二人に告げて、ちょうど扉付近に立っていたアルフォンスをぐいぐい押しながら部屋から出ていった。

 途端、ガラリと変わる執務室の空気。

 色で例えるなら赤から青へ。白から黒へ。正反対のモノへと塗り替えられる。何者をも喋らせないような雰囲気。その中で初めに言葉を紡いだのはロイの方だった。
「……………君からここに来てくれるとは。それは私がもう許してもらえたということなのかな?」
「……………何のことだ?」
「てっきり私は君に嫌われてしまったのかと思っていたよ」
「てっきり、じゃなくて昔から大っ嫌いなんだよ」
 吠えるように反論するエドワード。そんな彼にロイはソファを勧める。けれどエドワードはロイを一瞥したあと、近くの壁に寄り掛かった。その行動がいかにも彼らしくて、ロイはくつりと肩を揺らす。
「相変わらずつれないね。昔はウィンリィやアルフォンスと一緒になって、お兄ちゃんお兄ちゃんと私のあとをついてきたものなのに」
「てめッ。いくつの時の話してんだよ!テメェ!」
 真っ赤になって過去の恥!とわめき散らしているエドワードに本気で吹き出す。その行動がさらにエドワードを憤らせる。一仕切り笑い声と怒鳴り声との合戦が続いたあと、ロイが一呼吸置いて、
「……あの娘のことだろう?」
 と呟いた。
「今日ここに来た目的は、あの娘のことだろう?」
 急に静まった部屋のなか。ロイは再び問いを口にした。問われたエドワードは口を一文字に固く結び、壁に寄り掛かったままロイを睨む。
 問いの意味や"あの娘"が誰を指すのかがわからないからではない。むしろ逆で、当たっているからこそこの男はムカつくのだ。エドワードは強く拳を握る。
「………妹を国家錬金術師に推すなんて、正気の沙汰じゃねぇよな」
 わなわなと震える拳は握りすぎて段々白くなっていく。思い出すのは、先程まで一緒にいた少女。自分の幼なじみで目の前の男の妹である、少し前に資格を取った国家錬金術師。
「だがそれはアレが望んだことだ」
 重く、沈痛なロイの言葉。
「それに、もし私が国家錬金術師に推していなかったら、"あの娘"は今いなかった」
 苦々しく紡がれるそれは、エドワードの胸の奥に響いて軋む。
 そんなことはわかっている。知っている。あの幼なじみ達が死んだ母親を蘇らせようと禁忌を犯したことを。それが失敗に終わったときの彼女達の姿を。特に、何もかも自分の所為だと嘆き続けた彼女の憔悴ぶりを。
 いや、憔悴なんて言葉では説明しきれない。あの時の彼女は、もはや廃人だった。だから目の前の男は差し出したのだ。希望のある泥の道を。誰よりも身内が傷つくことを嫌う彼が、誰よりも傷ついてほしくない家族が生きる目的を見つけるために。
 そのことを、エドワードが許すとか許さないとか、そんな陳腐なことは決して言わない。言えない。彼が彼女に道を示したようにエドワードもまた彼女の、そして彼女が目的を達成させるために機械鎧を作るのだから。
 部屋の湿気か握りこみすぎたのか、エドワードは自分の手の平がじんわりと汗ばむのを感じる。
「オレは………あいつらを止める気なんか毛頭ない。………アンタが、あいつらの兄貴のアンタが後見人だからってことも、ある」
 エドワードは一旦ロイから視線を外し、そして再び戻す。眼鏡越しの琥珀の瞳が真っすぐにロイを射抜く。
「だから、もし……………。もし、アンタがアイツを危険な目にでも遭わせてみろ?そんときは、アイツが泣こうが喚こうが、オレがアンタをぶっ飛ばす」
「肝に、命じておくよ」
 ぶつかり合う視線をそのままに、ロイは口の端を僅かに上げる。その表情に、ケッとエドワードは悪態を吐く。しばらく言葉を交わさないでいると、扉から笑い声が漏れてきた。
 明るい、明るい笑い声。
 それは一時期は聞くこともなく、今は当たり前に聞く少女の声で。知らず知らず、ロイとエドワードは笑いあう。
「さぁ、我らの姫君のところへ行くとするか」
「昔っから思ってたけど、アンタってくっさいよな」
「おや、くささなら君には負けるよ」
「あ゛!?」
 怪訝な表情をするエドワード。ロイは人の悪い笑みを作りながら司令室に続く扉を開ける。
「そう、あれは私が休暇でリゼンブールに帰ったときだったかな。ウィンリィと君は8歳で。あの日君達は花畑に行こうとしていて、そこで君が」
「うわぁああぁああああ!?てめっ、なん……っ!?待て!待ちやがれ!」
「エドー、お兄ちゃん。ドアのところでつっ立って何話してるのよ」
 青くなったり赤くなったりと器用に顔色を変えるエドワードを見やりながら、司令室のソファで軍の面々とくつろぐウィンリィが二人に尋ねる。
「ああ、鋼の。少し思い出話をね。お前も聞きたいかい?」
「あ、聞きたい!」
「お、おおおお前は関係ねぇからすすすっこんでろッ!」
「何よそれ!」
 未だ赤と青が混ざったような微妙な顔のエドワードがウィンリィを怒鳴る。
 ぎゃあぎゃあと更に賑やかになる司令室。誰もがその光景を微笑ましく見守っていた。