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勘違いトライアングル
エドワードはとりあえず吹き出した。ぶはぁっと勢いよく吹き出した。だがその原因を作った男は、まったくもう兄さんッたら汚いなーなどといつも通り、のほほんのんびりとしていたままだった。
「おまっ、今、なっ、何言っ……!?」
とある昼下がり。渋々ながら軍への書類に取り掛かっていたときに、同じ部屋にいてこれまた研究論文を書いていたアルフォンスに、エドワードは思考回路がぶっ飛ぶような、そんな質問を投げかけられた。
もともとエドワードのほうは嫌々仕事をやっていたため、先程から雑談は交し合っていた。諸々の愚痴だとか村の中の些細な事件だとか、エドワードは4分の3聞いて4分の1書類に集中しながら、たいしたことでもないことをのんべんだらりと話していたのだ。
だが話しているうちにも二人とも各々の作業をしているため沈黙は自然と訪れる。さぁて本腰入れて仕事すっかなー等とエドワードが思ったときに、アルフォンスが突如尋ねてきたのである。それも神妙に。
「だからぁ、兄さんってちゃんとウィンリィを満足させてあげてるの?」
口元に手を持ってきて、ひそひそと問い掛ける。アルフォンスの質問に、しかしエドワードはそれが最初何のことを示すのかまったくもって分からなかった。何のことだよと思いっきり眉を吊り上げて聞き返す。そんなエドワードに、アルフォンスは何のためらいもなく、夜のことに決まってるじゃないと云ったのだった。
エドワードは、赤面した。これでもかというぐらい顔は真っ赤に染まり、ぱくぱくと口を開閉させるのが精一杯だった。まさか弟にそんなことを聞かれるとは思ってもいなかったのだ。
「え、おまっ、なッ……!?」
上手く続きの言葉が出ない。行儀の悪さなど気にもせず思わずアルフォンスを指差してしまう。
アルフォンスはそんなエドワードの狼狽えぶりなど気にせずに、真剣な面持ちのまま言葉を連ねた。
「いや、だってさ。兄さんってばそーゆーこと全然ケーケンしないまま結婚しちゃったでしょ?まぁ昔からウィンリィ一筋だったから当たり前って言えば当たり前なんだろうケド。なぁんかボク気になっちゃって」
別に他意はないんだよ?と語る瞳には嘘偽り他侮蔑などの感情はまったく見られない。ただ純粋に好奇心だけが満ちている。アルフォンスは首を傾げながら、で、どうなの?と回答を迫った。
エドワードは少しどころか盛大に狼狽したあと、沸々と怒りがこみ上げてきた。何故に弟にこのようなことを聞かれなければならないのか。
アルフォンスにそんな気は無いのだろうが、それは兄としての威厳とともに、1人の男として侮られている気分に陥ったのだ。
「あれ、兄さん?」
顔を真っ赤にしたあと、徐々に徐々に俯いて何も喋らなくなった兄を不信に思ってアルフォンスは声を掛ける。
「え、兄さんどうし…」
「………ゃい……だよ…」
「へ?」
何事かと思い、どうしたのか尋ねようとしたアルフォンスの声を遮って、エドワードは何かをぼそぼそと小さな声で呟いた。聞き取れなかったためにアルフォンスは兄にもう一度云ってくれるよう促そうとする。しかし促そうとしたその瞬間、がたんと音を立ててエドワードが立ち上がり、アルフォンスを思いっきり睨みつけた。
「……んで…」
「えっ?」
「何でンなこと、お前に聞かれなくちゃなんねぇんだよッ!?」
いまだ赤い顔のままギャーと小型怪獣のようにエドワードは吼える。混乱真っ最中、そんな表現がよく似合うであろう。ぷしゅーと頭の天辺から煙が上がっているようにも見てとれる。兄の混乱っぷりに、アルフォンスはついつい両手を上にあげてしまった。
「う、うわ、そ、そんなに怒らなくたっていいじゃないか。興味本位で聞いてみただけなんだからさ。……ほら、落ち着いてよ」
どうどう、どうどう、とうっかり馬にするようにアルフォンスはエドワードを宥める。
だがエドワードはそれを気にすることも無く、むしろ気にしてる余裕も無く、はぁーーと気を静めていった。
アルフォンスとしては、ここまで兄が初心な反応を返すとは思っていなかった。男同士によくある猥談。そのノリで話を持ちかけてみたというのに、結果はこの有様だ。
確かに兄とはあまりそういった類の話をしたことは無かったが、この反応は少し無しだろうと思ってしまった。仮にも結婚してるんだから、と思う反面、しかし無意味なほど照れ屋なこの兄のことだと思うと、妙にこの反応に納得している気分もアルフォンスはもっていた。
だいぶ気分が落ち着いてから、エドワードはくるりと向きを変えてアルフォンスに背を向けて椅子に座りなおした。背後から兄さんごめんってばーと弟の声が聞こえてきたが、綺麗に無視して座りなおした。
あまり回らない頭で、放棄していた仕事に取り掛かろうかなーなどと一応考えてペンを手に取るが、しかしくるりと1回ペンを手で回したあと、面倒くさくなって机の上にそれを転がした。
エドワードの頭の中で、先程のアルフォンスの質問が幾度も幾度も反芻されていたのだった。
ウィンリィを本当に満足させてるなんて、そんなことはエドワードには本質的には知る由もない。確かにエドワードはそのような経験も無く結婚し、初めてのときはウィンリィと2人戸惑いながら行為を行なったものだった。
だが満足かどうかなどは、事前の経験に左右されるものなのだろうか。エドワードはアルフォンスをちらりと見やる。
先刻とんでもない質問をしてきたこの弟は、元の身体に戻ってから、いやによくもてるようになった。端正な顔立ちや悔しいながらエドワードよりも幾許も高い身長、それに生来の優しい性格を加えれば確かに女たちは彼を放っては置かないだろう。アルフォンスの交友関係は決して派手ではなく、かといって地味でもなく、エドワードが気付くたびに彼の恋人は変わっていたのだった。
女性関係の豊富さでいえば、おそらく圧倒的にエドワードの負けだろう。口に出して確認したわけではないが、なんとなくわかるものだ。けれどそれが直接に先程の彼の質問に関係があるのかどうかは微妙なところだ。
だが、嗚呼、とエドワードは思う。
「な、なぁ……」
アルフォンスに背を向けたまま、エドワードは彼に声を掛ける。いい加減機嫌を直さない兄に苦笑を洩らして、いつまでもこうしていてもしょうがないから、と論文作成を再開しようとしたアルフォンスは、歯切れの悪い兄の言葉に疑問符を浮かべた。
「何?兄さん」
「そ、その…あの、さ。あの…………お、おまえは、どうなんだよっ?」
まごつきながらぶっきらぼうに云ったエドワードの言葉に、アルフォンスは更に眉根を寄せた。
「え、な、何が?」
「だ、だからっ!お前はっ………ど、どどどうやって、満足させてんだよっ!?」
思いっきりどもりながら、エドワードは吐き捨てる。弟にこんなことを聞くのは本当にどうかと思うのだが、しかし他に聞く奴がいないので仕方が無い。
自分がきちんと満足させているかどうかはさておいても、好いた相手には出来るだけ満足させてやりたい。そんな想いが、ほんの少し、本当にほんのすこーーーーしだがエドワードの男のプライドだかいうものを揺るがせることに成功したのだ。
アルフォンスは一瞬ぽかんとし、次の瞬間今度は彼のほうが若干狼狽した。
「えと、いや、そ、そんなこと急に云われても………」
えぇええ!?と本気でアルフォンスは困り果てた。こんなことを逆に聞かれるとは思っていなかったのだ。エドワードは椅子に座ったままぐるりと身体をアルフォンスのほうに向けた。睨みつける。
「た、例えば……な、何かあんだろっ!?」
「例えばって云われたって…!…………や、やっぱり、色々…さわったりとか?」
「いっ、色々って、なっ、何だよ…!わけわかんねぇよっ…!」
「色々って云ったら色々に決まってるじゃないか…!?」
2人とも、最早ぐだぐだの状態である。照れるような歳でもないだろうに、ギャーギャーと真っ赤になって会話が続いた。
しばらく応酬が続いたあと、ゴホンとアルフォンスが咳をしてつい昂ぶってしまった気持ちを静めた。エドワードは言い合いのし過ぎで少し酸欠を起こし、肩で息をしている。
「だ、だからさ……」
疲れきった身体でアルフォンスはエドワードに近づいた。
「ここをこうして、こうしたりとか…」
云いながら、アルフォンスは服越しにエドワードの胸の尖りを指で挟み込み、弾いた。こんなこと何で男同士でやってんだろ、と甚だアルフォンスは疑問に思い悲しくなるが、それはこの場のノリで実践で何かやったほうが早いと感じ取ったからだ。
何やってんだよ気持ちわりぃと理不尽だが罵られることは目に見えてるが、出来れば殴らないでほしい。そうアルフォンスは考えるが、だがしかし。
「……ひっ…ア!」
エドワードが発した声に、部屋の中は静まり返った。
はっと我に返って、エドワードは思い切りよく手で口を押さえる。今し方の赤かった顔は何処吹く風で、顔からはどんどん血の気が失せていった。アルフォンスは状況が飲み込めず、はたはたと目を瞬かせた。
「………え、えと。に、兄さん今の、感じた、の?えっ…嘘、ボクどん引きだよ」
「なっ、違ッ!違ぇよ!!」
必死に弁解するエドワードに、アルフォンスは疑いの眼差しを向ける。エドワードはぶんぶんと頭を振ってそれを否定した。だが悲しいかな。必死すぎれば必死すぎるほどに、人間というものは疑い深くなるというものだ。
「えー、でも今のは………。兄さんって、感じやすいんだね。ボク女の人でもこんなに感じやすい人と会ったことないよ。あっ、もしかして兄さんってイかせるより自分で先にイっちゃうタイプだったりした?」
「イッ!?なっ、なに、な、い、な、おまっ、おまッ…!」
あまりにあんまりなアルフォンスの発言に、エドワードはそれまで以上に混乱した。動揺して上手く言葉が紡げない。目の玉を最大限にまで見開いて、口をぱくぱくさせながらアルフォンスを凝視していた。
そんなエドワードの様子に、アルフォンスはちょっとした嗜虐心が働いた。エドワードの肩をトンと押して机の上に押し倒す。もちろん本気で押し倒したというわけではない。アルフォンスに男を押し倒すという趣味は無い。ただエドワードの狼狽さ加減とその反応に心の内で爆笑して、些か悪戯心が芽生えてしまったのである。
またしても服の上からエドワードの胸を弄り、にっこにっことアルフォンスは笑みを浮かべる。
「ねえ兄さん。ここ?ここがいいの?」
「やっ、ちょっアル!悪ふざけは止めろ!止めろってッ!やっ……やめっ!ひ、やっ……や…………あんっ」
胸の粒を執拗に弄られ、エドワードが一際高い声を上げた直後。
ガシャ―――――――ン
すぐ近くで何かが壊れる音がエドワードとアルフォンスの耳に届けられた。
たっぷりと固まったあと。エドワードとアルフォンスが同時にぎぎぎっとブリキ人形のようにぎこちなく音のした方に顔を向けると、そこには、金髪を高い位置でまとめた女性が目を見開いたまま立っていた。わなわなと震えた手は中途半端な位置で止まっており、何かを運んでいたような態勢を取っている。いや、実際運んでいたのだ。彼女の足元にはトレーや割れたカップ、パイ等が無残に転がっていた。
「ウィン、リィ?」
アルフォンスの呼び掛けにウィンリィと呼ばれた女性はびくりと肩を揺らす。けれどそのことで正気に戻ったのだろう。ウィンリィは少し狼狽えつつも彼と目線をあわせた。
「……えっと、あの、その。あ、アップルパイが上手く焼き上がったからっ、あ、あんた達の仕事の息抜きがてら3人でお茶でもしようかなーって思って。こ、ここに持ってきたのもあんた達をおどかそうと思ったからで。それで、それが、それがまさか……」
顔面蒼白になりながらウィンリィはぽつぽつと言葉を紡ぐ。その表情は多分に困惑に満ちていて、何回も何も言わずにぱくぱくと口を開閉させていた。だが混乱しているのはエドワードもアルフォンスも同じだった。ウィンリィが言葉を発するたび、彼女が自分達の仲を誤解していると感じるたびに彼らの顔色も真っ青になってくる。
「ち、違うんだよウィンリィ!!」
ウィンリィに掛けられている誤解を解くために、アルフォンスが必死に彼女に呼び掛ける。だが彼もまた混乱真っ只中。どう言えば一番誤解を解きやすいかなんて、そんなことは思いつきもしない。
「違うんだ!兄さんは………わ、わかんないけど。ボクにそっちの趣味はない!!」
「な、わかんないって。わかんないってなんだよ!お、オレだってそんな趣味ねぇよ!!」
アルフォンスの発言に、それまでウィンリィを見たまま固まっていたエドワードが噛み付く。未だアルフォンスに押し倒された状態で、胸ぐらをつかんで裏切り者――!と彼を揺さ振った。そんなエドワードにアルフォンスはだって、だって!と言い募った。そんな中。
「ううん。いいの」
二人の行動を見ていたウィンリィは首を振って。そして、見ているほうが切なくなるほどの、ひどく弱々しい笑みを見せた。
「わかってる。わかってるから、あたし。あんた達が……あんた達がそうなんじゃないかなーってこと、薄々だけど気付いてたから。だから、あたしのために、そんな嘘つかなくっていいのよ。あたしは、そんなあんた達が好きで。エドが好きで。だから結婚して。大丈夫。わかってるから。わかってる。わかってるけど………や、やっぱり――――ッ!」
ばたばたと、音を立てながらウィンリィが部屋から去っていく。きらきらと彼女が駆けていく方向に軌跡が走って、その瞳からは涙が流れているようだった。
残された二人は押し倒し押し倒された状態のまま。しばらく呆然と固まっていた。
零れた紅茶の薫りが部屋の中まで漂ってくる。何秒かたったあと。先に我に返ったアルフォンスがはっとして、エドワードの肩を揺さ振った。
「に、兄さん!早くウィンリィを追い掛けなきゃッ!」
「お、おおおおう!」
直ぐ様アルフォンスはエドワードの上から退いて、二人、部屋の外へと駆けていく。
彼らがウィンリィと三人で正座をして、事の発端を話し合うのはもう少し先のこと。
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