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パンドラの箱は開かれた
全てを拒絶するその態度は強さかあるいは―――――――――
爪を失くした猫は咽を鳴らして威嚇する
図書館の閲覧所で資料を広げ、ペンを持ったまま微動だにしない青年が一人。窓側の机に座ってぼんやりと考え事をしていた。
今頃、彼は何をしているんだろうか。暇になれば考えてしまうその思考に、その青年、ハイデリヒははっと我に返って苦笑した。
彼とは、最近ふらりと現われてロケット研究の仲間になった人物で。名をエドワード・エルリックという。出会ったばかりの彼のことをここまで考えるとは、なんて可笑しな現象だろうか。友人に話したら、それは恋だとか何だとか冗談めいたことを言われるだろう。否、面白がって絶対に言われる。けれどそれは、ありえないことだ。何故なら、自分は男で彼もまた男。あいにくと、同性愛者の気は持っていない。
くるりと手に持ったペンを回して、ハイデリヒは立ち上がる。こういうときは、適当な本を読んだほうが気が紛れるだろう。広げたままの資料を閉じて手に抱えて、もとの場所に戻そうと足を進めた。
適当な本を探そうと自分の身長の何倍もの高さを持つ本棚を見上げて、いつもながらハイデリヒは圧巻する。
この図書館はドイツでも名高いそれで、とかく様々な書物が保管されている。文学から自然科学。子供向けの物から専門的な物まで、実に多種多様な資料が取り揃えられている。
どの本を読もうかと図書館の奥に進んでいくと、不意に見覚えのある人影がぽつり。
自然と目が行った先には、身の丈3倍ほどもある巨大な脚立の上に陣取って、ひたすらに本を読み進めているエドワードの姿があった。
「エドワード、さん…?」
ハイデリヒは訝しく思う。彼が暇さえあれば図書館に入り浸ることは知っている。実際に、何度もその場を見かけたこともある。けれど、それはどれもロケットの研究に関わることを調べるためであったはずだ。
それ以外など眼中にないように、ある種呪われたように、彼はロケットの研究しか見ていなかった。
それなのに、これはどういうことだろう。エドワードが今いる場所は魔術や呪術など、いわゆるオカルト関連の書物が陳列しているところ。研究内容とは、まるで正反対の分野だ。しかし、よく見ていなくても、エドワードが真剣にその本を読んでいることがわかる。
ぞっとするぐらいの集中力。回りのモノを全てシャットアウトした雰囲気。彼を知らない者が見たら、精巧に出来た人形が動いていると思うほどに、エドワードは機械的にページを捲っていた。けれどハイデリヒは驚かない。見慣れていたというのもあるし、それに彼はもともとこんな空気を持っていた。
というよりもエドワードはとにかく不思議な人物で、すぐにでも誰とも仲良くなるくせに肝心な時には必ず一線を引く。あらゆるモノを、空気でさえも彼は拒絶していた。いや、空気そのものが“彼”を拒絶しているようにも思える。
そう、それはまるで彼が、この世界では異質な存在であるかのように。
異質といえば、ハイデリヒはふと思い出す。エドワードが自分と初めて会い、自己紹介をしたときのその顔を。彼は目を最大限に見開いて、今にも泣きだしそうな何処か縋るような、混乱と驚愕が入り交じった、そんな表情をしていた。
彼の大切な誰かに、重ね合わせたんだろう。実際のところはそんなことを確認できる間柄でもないし、エドワードは何故か自分にだけ極力近寄ろうとはしなかったので真相はわからないのだが。
そのことでちくりと胸が痛んだけれど、それはたぶん彼と友情を築きたいからだろうと、思っている。
上の方からパタンと本が閉じる音が聞こえた。エドワードが本を読み終わったんだろう。些かどうするが迷ったが、ハイデリヒはエドワードに声をかけようとした。研究仲間だ、偶然見つけて挨拶することなんて、何ら自然なはずである。
片手をあげて声を出そうとして、けれどハイデリヒは話し掛けれなかった。エドワードが読み終わった本を、どう表現したらいいか彼自身でもわからないほど、愛しげにそして切なげに見つめていたからだ。
ざわざわと、胸の奥が騒ぐ。あの人にあんな顔をさせたくないと、ただ漠然とそう思った。
エドワードは諦めに似た表情でぼんやりとしながら、脚立の上で立ち膝をして本を戻そうとした。普段の彼なら何ら造作もないことだ。
けれど途端、崩れるバランス。背を床に向けて、エドワードの身体が宙に投げ出された。
「………なッ!?」
「あぶなッ……!」
ハイデリヒは慌てて駆け出して、エドワードの身体を受けとめる。衝撃で腕がジンジンと痺れた。
「大丈夫ですか?エドワードさん!」
落ちたショックでしばしエドワードは茫然としていたが、すぐに我に返ってハイデリヒを見て、そして一瞬目を見開いて肩を震わせた。
それだけで、皮肉にも脳に異常がないことはわかった。
「どこかに、怪我とかしてないですか?」
エドワードの様子に自嘲しながら、ハイデリヒは彼の身体を抱えていた手を離そうとした。そう、離そうとして、何かに違和感を覚えた。彼の胸辺りを触れたハイデリヒの右の手のひらに、ふにゃりと柔らかいモノを感じたのだ。
それは絶対男にはない感触で、でも彼は男で、ハイデリヒは自分の憶測は間違っていると思った。けれどそれでも、不謹慎かもしれないけど、間違っていたら失礼どころの話ではないけれども、いやでもそんなまさか、でも、だけど……
「おんな、の…子…?」
疑問を口にした途端、ハイデリヒは床に叩きつけられた。
「誰にも言うな!」
絞りだされる、声。近付く、顔。
「今日のことは全部、総て、絶対、忘れろッ!!」
荒らぶる語調。青ざめている表情。真剣な瞳。
けれど、勝気だとされる彼の瞳の奥は、こんなにも弱々しいものだったか。
掴んだハイデリヒの襟元をドンッと突き離して、エドワードは立ち上がる。
身を翻して、そのまま何も言わずにこの場を去ってしまった。残されたハイデリヒはただ呆然として、しばしその場に座り込んだまま。右手を開いてそして閉じて、無意識のうちに息を呑んだ。
つ、つづきます!……………たぶん(汗)
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