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きんいろのけもの
みぃ、と聞こえてきた弱々しい鳴き声にウィンリィは思わず振り返った。
辺りを見回しても何もない。いや、正確に言えば何もないというわけでは決してない。機械鎧で発展したこの街は相変わらずどこもかしこも鉄の鈍い色合いに染まっていて、小雨の降る今日も今日とて店同士の客の取り合いで良くも悪くも賑わっていた。
ウチの店のほうが安く仕上がるよ。ウチの店は高くとも性能は抜群だ。それぞれで各々の謳い文句を勝手につけて、あの手この手で客を誘っている。
人が機械鎧を求める理由は様々だ。戦争で自分の手足を失ったためだとか、病気で失くしたそれの代わりだとか。顧客1人1人の背景に色んな事情が絡んでいる。けれど職人はわざわざそれを詮索しようとしたりはしない。彼らはお客で、深い仲になるわけではないのだ。知らない方が都合がいいことだってあるというものである。だからわざわざ人の古傷を抉るように事情を聞こうとしたりはしなかった。けれど中には見るからに理由がわかりそうな人もいるわけで、主に強面のお兄さん等がそうであった。
見かけで判断するというわけでは決してない。確かにちょっとした目付きの悪さに思わず怯まざるをえない人もいるが、それとこれとは少し違ってくる。だいたい、人というものは内面がそのまま外見上に出てくるものだ。目付きが悪いというだけで悪人と決め付けるのは早合点というものだろう。そうして街を見渡していくと、明らかに個人的な抗争によって機械鎧を求めているだろう人がたまに目の端に見受けられた。
街全体の特質からか、昔からここには血気盛んな者がよく集まっていたものだった。それは今も昔も変わらずに、他の街と比べてみれば確かに、この街は治安がいいとは言い難いかもしれない。その辺を歩けば簡単にゴロツキや言い掛かりを付けてくる者と出会うことができる。
けれどウィンリィはこの街が嫌いだとは到底思えなかった。
絡まれたことがないということがその理由の1つとして上げられるだろう。好戦的な者は同じく好戦的な者に目が行くらしく、彼らの被害にあったことはなかった。それにここは、自分の意志で故郷を離れてわざわざ機械鎧製作技術の修行をしに来たまでの土地だ。嫌いになんかなれるわけがなかった。今現在身を寄せさせてもらっている祖母の知り合いの知り合いにはとても良くしてもらっているし、こちらでの友達もできた。少ないながらも馴染みの客ができていき、むしろこちらの方がパワーをもらっているくらいだった。ウィンリィはこの街が第2の故郷と思えるくらい愛しく思っていた。
お師匠とでも本来は呼ばなければならないのだろう、今身を寄せている家の人を本当の家族のようにも感じるようになっていた。住み込みで修業をさせてもらっているんだから、自分にできることは何だってしたい。本当は早く一人前の技師になることが一番の報いであるのだろうが、それとはまた別の次元で彼女はそう考えていた。食事も洗濯も今じゃ件の師匠との当番制だ。お使いだって彼女が自発的に行くことが多く、今も出張整備に赴く師匠の代わりに行なったソレの帰り道であった。
みぃ、とまた弱々しい声が耳に届く。みぃみぃと途切れ途切れに続くか細い鳴き声は雨音に消されるほどにあまりに小さく、ともすればそれは幻聴であったのかもしれない。現にウィンリィ以外の者は足を止めず、急に降り始めた雨に濡れまいと、足早に家や近くの軒先へと着こうとしている。張り巡らされた水溜まりに足が填まったらしく、たまにぴしゃりと水が弾けた音がしてくる。そちらの方がはっきりとした輪郭を伴っていて、何かの声よりよほど現実的だった。
誰も気にしていない、聞いていない、気付いてもいない。やはりこの声は幻聴なのかもしれない。けれどウィンリィは直感的に違うと感じ取った。幻聴であったならばそう何度も聞こえるはずがない。それに何より、その声の必死さが、懸命さが耳に直に伝わってきていて、彼女は知らず身体を動かしていた。
再び周りを見渡してみる。けれどもやはり目につくのはいつも通り賑わっている街並みで、特別変わったことなどないように見えた。視覚はさほど頼りにならない。注意力がないわけではないが、それでも範囲が広すぎればいつもはわかることもわからなくなるもので、今のウィンリィはまさにその状態だった。
となれば次は鳴き声を頼りに探すしかない。よく耳を澄ましてみる。雨音と雑踏の中に再び鳴き声が紛れ込んではいないか、注意深く耳に入ってきた情報を脳内で咀嚼する。
「―――……あっち?」
そして、聞こえてくることを期待した鳴き声に、導かれるようにして、ウィンリィは足を踏み出した。歩いてきた道へと踵を返し、きょろきょろと瞳を彷徨わす。か細い声は彼女を呼ぶように風に乗って宙を舞う。そして明るい通りと狭く細い路地の分かれ目に来た時に、声は一際大きく聞こえたような気がした。
目についたのは金色だった。目の前に広がる見事な黄金に、一瞬だけウィンリィは時を止めてしまいそうになった。綺麗と思わず感嘆をも漏らしてしまいそうになるぐらいだ。けれど、すぐに我に返って彼女はその錯覚に気が付いた。
小雨のせいで今や地面はぬかるんで、ウィンリィの足元はすっかり泥にまみれている。当然目の前のそれだって同じようなもので、元の色がわからなくなるくらいそれは泥だらけになっていた。ぼうっと見やるウィンリィの耳に、再び小さな鳴き声がかかる。彼女はそれに近づくように膝を曲げた。
「……………子猫?」
狭く細い路地裏には不釣り合いなほど小さな子猫がそこにちょこんと座っていた。雨粒が降りしきる中それはあまりに弱々しい光景で、けれどそうは感じさせないほどに彼の猫は凛としていた。雨粒が入ってくるのを防ぐように透明度の高い金目を細めている。そしてその瞳にウィンリィの姿を反射させて、それはみぃとか細い鳴き声をあげた。
寝そべった身体をさらりとなぜる。すると心地よい肌触りがウィンリィの手にもたらされた。なぜられた子猫はそれで起きるわけでもなく、彼女のベッドの上で無防備に眠っていた。
結局路地裏でこの子をどうすることもできず、ウィンリィは自分の家まで連れて帰って来てしまった。泥で汚れたまま家の中を歩き回させるわけにはいかないため、無理やりお風呂に入れて身体を乾かしてお腹も透かせているだろうから水を与えた。ベッドのすぐ近くにはそのための水が張られた小皿が無造作に転がっている。本当はミルクを与えてやりたかったのだが、あいにく買い置きがなかったのだから仕方がない。これでもよくやった方だと自分を誉めてあげたいくらいだ。
「まぁ、急拵えにしては上出来よね?」
そうよねー、と相づちを求めるように再び子猫の背を撫でる。だが当然返答が返ってくることはなかった。相づちの代わりに気持ちよさそうな猫の寝息がすぴすぴと聞こえてくるように感じるだけだ。
それにしても、雨の降る中で、おそらくそれ自身が途方に暮れていたとはいえ、見ず知らずの人間に連れてこられてこうして無防備になれるなんて、これは相当に人間慣れしてる猫だ。普通だったら、たとえ多少であってもこの場は警戒心を顕にしてみるところであろう。ウィンリィは寝そべる子猫の首筋にそっと指を這わせてみた。
触れた箇所は乾いたばかりの金の毛がふさふさと波打っていて、とても首輪がついていたようには思えなかった。手足や耳も先ほどお風呂に入れた時に丹念に見たのだが、あいにく飼い猫である証は見当たらなかった。
だとすれば、この猫は野良であったということになる。ウィンリィは我知らずそっと一息ため息をこぼす。そして眠りこける子猫を横目に、床にある小皿を手にとって部屋を後にした。
パタンとドアの閉まる音が妙に響く。静まりかえった家は途端に冷静さを突き付けてくるようで、ウィンリィは再びため息をついた。
ドアに背を預けて、首をひねる。
「さて、どうしようかしら……」
紡がれた声は思ったよりも小さく、余計に不安を感じてしまうほどだった。
あの子猫が野良であった場合、考えなくちゃいけないのはあの子の今後の身の振り方だ。連れて帰ってきてしまった以上、しばらくはここで面倒を見るしかないだろう。それが道理であるし、なによりそこで見捨てるような非情さをさりとてウィンリィは持っていなかった。
せめて子猫が起きるまでは、雨が止むまではここに置いてあげたい。
それからの責任を放棄している段階で都合のいい話だと思わないでもないが、しかしそれだけしか今の彼女には考えることができなかった。
そもそも、一時でも子猫をあずかることだってこの家では難しいかもしれないのだ。
ふと辺りを見回してみる。ウィンリィが今いる廊下は一見何の変哲もないものであるが、よくよく観察すると端の方に段ボールがうず高く積まれている。どれも工房には入りきらなくなってしまった機械鎧の部品の一部だ。工房にもウィンリィの部屋にも、この家には機械が溢れかえっている。それこそ子猫が安易に飲みこめそうなほどの小さな部品も平気でそこらに転がっており、到底動物を飼える状況などではなかった。
第一、一時的に預かるとしてもそれをどうこの家の家主に説明するというのだ。心優しい彼女の師匠なら、簡単に認めてくれそうなところでもある。だが一歩間違えば機械鎧の部品を爪研ぎに使われたり隠されたり、猫にとっても自分たち技師にとっても最悪の出来事だって想定できてしまう。これ以上あの人に迷惑を掛けるわけにはいかない。
「はぁ、どうしよ」
頭で考えていてばかりでもいい案は思いつかず、不安が堂堂巡りをするだけだ。ふるふるとウィンリィは考えを拭い去るように頭を振るう。そしてドアに預けていた背をしゃんと伸ばした。とりあえずは持ったままの小皿を片付けにいこう。僅かに溜まった水が零れないように、彼女は1歩前へと足を踏みだした。
それと今やよくよく馴れ親しんだ声が店先の方から聞こえてきたのは、ほぼ同時のことだった。
「んもぅ、いきなり降りだすなんていやになっちゃう」
店先を覗き込んでみると、丁度声の主が不満げな声を上げながら雨で濡れそぼった腕をぴしぴしとはたいているところだった。
「ガーフィールさん!」
その光景を見るや否や、一先ず小皿を近くの作業台において、ウィンリィは慌ててタオルを取りにいった。適当なタオルを引っ掴んで走り、そのまま彼女の師匠へと渡す。
「大丈夫ですか?」
「あらウィンリィちゃん、もう帰ってきてたの?あなたは雨に打たれなかった?」
「あ、はい。少し濡れちゃいましたけどまだ小雨だったんで。あっ、お先にお風呂いただきました」
「そう、よかったわ」
今なんて本降りのザーザーよ、とガーフィールはつんと口を尖らせた。実際にウィンリィがこの家に着いてから、外の雨模様はよりその勢いを強めたようだ。タオルで拭いているにもかかわらず、ガーフィールの服から水分が取りのぞかれる様子はさりとて見当たることがなかった。
「急に降りだすからびっくりしちゃったわ。通り雨なのかしら、めずらしいわぁ」
ふんっという掛け声とともに力一杯ガーフィールはあらかた身体を拭いたタオルを絞ってみる。すると滝のごとく水が床に滴り落ちた。工房内にできた水溜まりは存外大きく、それを見たウィンリィの苦笑までもを人知れず映し出していた。
「あぁんもう、あたしも早くお風呂に入って身体を暖めなくちゃ」
「あっ、じゃああたし湯槽にお湯落としてきますね」
「助かるわぁ」
近くの椅子へと腰掛けるガーフィールを横目で捉えながら、ウィンリィは工房の奥へと消えていった。工房のドアを開けた先にある廊下を境目として、向こう側は生活区域だ。自分の部屋だって風呂場だってこの廊下の先にある。
一瞬自分の部屋から微かな物音が聞こえたが、それも気にせずウィンリィは廊下に足を踏み入れようとした。木の床が人間の重さできぃと鳴る。そのまま風呂場まで一直線に進もうとして、だがしかし思わず彼女はその場で立ちすくんでしまった。
瞳をぱちぱちと瞬かせる。触ってもいないのに静かに開いていく自分の部屋の扉に、ウィンリィはただ瞬きを繰り返すことしかできなかった。
「あら」
髪と地肌を優しく丁寧にタオルで押さえ付けながら、ガーフィールは不思議そうな声を上げた。
近くの作業台に覚えのない小皿が置いてある。皿自体が置いてあること自体は気にすることでもないが、そこに水が張っていれば別である。
一度濡らしてしまえば注意深く錆ができないように乾かさなければいけない機械鎧の部品の近くには、ふつう水物は置いておかない。しかも自分が出かけた時には見当たらなかったはずのことから、これを用意したのは自分の弟子であるだろう。
「ウィンリィちゃん。この小皿どうしたの?」
小首を傾げて問いかけるも、返事は返ってこなかった。それどころか、すでに風呂場に行ったと思っていた彼女がドアを出てすぐの廊下で立ち止まっていて、ガーフィールはますます首を傾げた。
「ウィンリィちゃん?」
呼びかけるも、果たして彼女の返答はなかった。
仕方なしにガーフィールは立ち上がって彼女の元へと歩み寄った。
「んもぅ、どうしたっていうの?」
ウィンリィは立ちすくんだままだ。微動だにせず、視線は真っすぐに奥の方へと向かっている。いつもの彼女らしからぬ態度だ。いや、態度どころかその様子だって随分おかしい。
ガーフィールはひょいと廊下を覗き込む。そしてウィンリィの様子を気にしつつも、彼女の視線の先へと目線をやった。と、その瞳はウィンリィの部屋の傍にひっそりと佇む小さな金色を捉えた。
「えっ……な、に…?」
固まったままのウィンリィの唇はわなわなと震えながらやがてやっとの思いで疑問の言葉を紡ぎだした。
家に帰ってきてから今の今まで、自分の部屋には誰もいなかったはずである。それはさっきまで彼の部屋に自分だけしかいなかったことで証明できるし、そもそもそんなことはわかりきっていることである。誰も、強いていえば子猫以外誰1人として、この部屋に入ってはいないし佇んでもいない。それなのにどうしてこの目は、部屋から出てくる小さな子供の姿を映しだしているのだろうか。
ウィンリィは一度目を擦り幻覚を打ち消そうとした。しかしさっぱり消えてくれない子供の姿に、彼女はこれが現実であることを知らしめされた。
子供はウィンリィの部屋のドアに寄り添ったまま、眠たそうに目蓋をその小さな手でかいていた。手を動かすたびに、目に鮮やかな金色の髪が揺れ動き、そしてあたかも猫の耳のようなモノがひょこひょこ頭の上で動いていた。その色はどこかで見たことがあるようで、しかし思い出すことをウィンリィの頭は躊躇していた。
「う、ウィンリィちゃん?」
ガーフィールの不安をあからさまにした声が彼女にかかる。その声に弾かれるように子供は顔を上げた。
「……………………………、うぃんり!」
子供特有の元気いっぱいな声が廊下中に響く。真っすぐウィンリィを見つめる金の瞳は嬉しそうな色合いで染め上げられた。
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