薄暮の向こう側



「あ、シロちゃ〜〜〜〜〜ん」
 カラスが空一面に広がっている夕暮れ時。外を歩いていると不意に慣れ親しんだ声が自 分を呼び、それと同時にごべしゃといういやな音が聞こえてきた。恐る恐る振り返って みると、やはり視線の先に人はいなく、代わりにあたかも地面と抱擁しているような物 体を見つけた。
――――――――― ああ、またか。
 ため息をつきつつ、冬獅郎はその物体のほうに足を向ける。それにしても今日はまた見 事にすっ転んだものだ。転び方に点数をつける制度があるなら、今日のそれは間違いな く10点満点だろう。
「何やってんだよ、バカ桃」
「あ、シロちゃん。あはは、転んじゃった」
「んなの見ればわかるっての。ったく、何でこんな何もないトコで転んでんだよ」
「あ!シロちゃんひどい。何もなくはないよ。ちょっと石につまずいちゃって」
そういわれて桃の視線の先を見やると、そこには小さな、本当に小さな石ころがあった。
「…………なぁ、もしかしてアレにつまずいたのか?」
 半ば呆れたように問うと、訊かれた本人は力強く肯定し、あまつさえ危ないよね〜など と呑気に言ってのける。  時たまこれが自分より年上だということを信じられなくなることも気のせいではないだろう。そういえば…、冬獅郎は先日「死神の学校に入学することになったの」と桃が嬉しそうに報告してきたことを思い出す。  こんなのが死神だなんて………確かに鬼道に関してはそこそこかもしれないがそれにしても、
「…………世も末だな」
「へ!?今何か言った?」
「何でもねぇよ。あーもーいつまでも座ってんじゃねーよ。着物に土つきまくってんぞ」
「え!?うわぁ、ほんとだね。おばちゃんに怒られちゃう」
 パンパンと馴れた手つきで土をほろう桃を見つつ、またしても冬獅郎は胸中で盛大なため息をついた。
 ムリ。ぜってーこいつ年上じゃねぇ!
 そんな冬獅郎の態度に気づいたのか、桃は小首をかしげた。
「何?シロちゃん」
「あー、何でもねぇって。それよりそっちこそ何か用事あったのかよ」
「何の?」
「何のってお前。お前が最初俺の名前読んだんじゃねぇか!」
 少しの沈黙の後、ああ、そういえばそうだったね〜と桃はのんびりとした口調で答えた。
 耐えろ、俺!ここでキレたら男がすたる!
 右手に作った握りこぶしを何とか抑えて、冬獅郎は話を進めた。
「で?結局何の用だったんだよ」
「うん。あのね?今日は天気がすっごくよかったから散歩をしててね?」
「…………」
「日も暮れてきて寒くなってきたからそろそろ帰ろうかと思っててね?」
「ああ」
「そんなときにシロちゃんを見かけて……」
「それで?」
「それだけ」
「は!?」
「う〜ん、だからシロちゃんを見かけたから思わず呼んじゃったって感じかな〜」
 ニコニコと、しかしきっぱりと目の前の人物はそう言う。彼女らしいといえば彼女らしい理由。
 しかし…………………
 自分を見かけたから思わず声をかけた。
 何回も反芻して、思わず自分の良いように解釈してしまう。次第に頬が熱くなっていくのは気のせいだろうか。
「シロちゃん?どうしたの?」
「う、うわぁ!?なな何でもねぇ!!」
「そう!?あ、ねぇもう日も遅いし一緒に帰ろうよ?」
 ぐるりと身体を反転させて、桃は家がある方向に足を向けた。気づけばあたり一面が真っ赤に染まっている。空も、家も、人々でさえ真っ赤だ。
 ああ、これなら…………。少し右斜め前方を歩いている桃の目の前に、冬獅郎は右手を出した。
「何?シロちゃん」
「ほら手ぇ出せ、危なっかしいから繋いでてやるよ」
「あらら、甘えんぼさんだね〜まったく」
「ちげぇよ!!またお前が転んだらこっちが困るから、仕方なく、繋いでやるんだよ!!」
 はいはい。わかってるよ。と苦笑混じりに返されたので、餓鬼扱いすんな!!と文句を言ってやろうとして横を見ると、その顔は嬉しそうで。
 繋いだ手があったかかったから、とりあえず文句は呼吸と一緒に飲み込んでおくことにした。



(何だかお題/squeezed orange