回るお花。



 こぽぽっと僅かに音を立てて、コップに水がたまっていった。

「うわわっ」
 勢い余って降り掛かってきた水飛沫を、ツナは手にあるコップを持ちかえて振り払った。ツナの前には、セルフサービスのシールが貼られている給水器と、綺麗に洗われて埃がつかないよう逆さに置かれているたくさんのコップ。そのうちの一つを手にとって、ツナは水を入れていたのだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、うん。全然へーき」
 ツナの声に驚いて、横に立っていたバジルは思わず声を掛けた。だが、当のツナはまったく慌てる様子もない。まったくやんなっちゃうよー、と呑気にぶんぶん手を振って水を振り払っていた。
「この機械いっつも最後の最後で水飛ばすんだよね」
「いつも、ですか?」
「うん。なんか最後までブシャって水出ちゃって、絶対手に掛かるんだ」
 そう言って、ツナはははっと苦笑した。
 2・3回手をぶらつかせていれば、水気はだいたい落ちてくる。手に濡れた感触がなくなってきたら、ツナは持っているコップを給水器の隣に置いた。そして逆さに置いているコップを1つひょいっととって、またぞろ給水器のバーに押しあてた。
ざーっと勢い良く水が流れだす。そしてたちまちに、コップに水がたまっていった。水の流れは淀みない。水が溢れださないようにコップの中をしっかりと見つめながら、ツナはふと、口を開いた。
「それにしても、ありがとね」
「えっ?」
「いやだから、ありがと。水持つの手伝ってくれて」
 バジル君水飲まなくてもいいのに、ごめんね。とツナは眉を八の字に下げた。バジルは最初、お礼の理由がわからず、驚いた顔を見せてしまった。だが、苦笑しながら言われた謝罪の理由に、どうやら得心がいったようだ。
「いえ、お礼を言われるほどのことではないですよ」
「でもバジル君はお茶でも大丈夫なのに。わざわざ席立たせちゃってさ」
「そんなこと気にしないでください。それを言ったら沢田殿も同じではないですか」
「そりゃそうだけど。まったく、みんな自分で持ってくればいいのに」
 はーぁ、とツナはため息を吐く。そして十分水が注がれたのを確認してから、コップをバーから離した。途端、吹き出す水飛沫。またしても手にかかった水滴に、ツナはうわっといやな顔をつくった。

 がやがやと騒がしい店内。ツナ達が立っている給水器の後ろでは、所狭しとたくさんの人が丸い椅子やテーブル座席に座っている。仲間や家族同士の話し声や店員の掛け声が相まって、店はたいそうな賑わいを見せていた。
「にぎやかですね」
「そうだねー。今ちょうど夕飯どきだしね」
 物珍しそうに、バジルは1度ぐるりと辺りを見回した。
 テーブル席に座る客はパネルを、カウンターの客はゆっくりと回るベルトコンベアを、それぞれ期待に満ちた瞳で眺めている。ベルトコンベアの上には色とりどりのお皿。新鮮なネタをのせた寿司が2貫ずつ寄り添って、きらびやかに回っていた。
「きれいだなぁ………」
「へっ、何が?」
「えっ、あっ、聞こえましたか?」
「うん。ばっちり」
 独りごちたつもりの言葉が思いがけずツナに届いていて、バジルはちょっとばかり焦った。だが、何も恥ずかしいことを言ったわけではない。何が?と問うてくるツナにバジルは苦笑を返した。
「いえ、このお店がきれいだなと思いまして」
「こんな回転寿司屋が?」
「はい。あ、持ちますよ」
「え、あ、ありがと」
 ちょうど3つ目のコップに水を注ぎ入れ終わり、ツナは空いているもう片方の手で、給水器の隣に置いていた2つのコップの内の1つを持とうとした。だが、その彼女をさえぎって、バジルは置かれていたコップを2つとも自然な動作で手に取った。3つコップに水を注ぎ終わればここには用はない。自分達の席に戻ろうと、ツナとバジルは踵を返した。
「色んな色のお皿がたくさん回っていて、カラフルでとても綺麗です」
 席に戻る途中、横を過ぎていくベルトコンベアの流れに、バジルは感嘆の息を洩らした。
 向かっているツナ達の席は、給水器があった場所からぐるっと4分の3周したところにある、テーブル席2つである。家光と奈々を筆頭に、沢田家で暮らしている者全員で店に訪れたため、テーブル席を2席用意してもらったのだ。
 初めて見るくるくる回る寿司に、ランボだけじゃなく普段は聞き分けのいいイーピンやフゥ太までもが色めきたった。ちび達はタッチパネルの前から動こうとはせず、そのため彼らの代わりにツナが彼らの分の水をもらってくるよう奈々に頼まれたのだ。
「へぇー、オレ今までそんなこと考えたこともなかったや」
「沢田殿にとってはそれが当たり前の光景でしょうから。小さい頃から馴れ親しんでいれば当然ですよ」
「そーゆーもんかな?」
「そういうものですよ」
 うーん、とツナは考え込む。そして瞳をベルトコンベアに向けてみた。
 色んな寿司を乗せたカラフルな6色の皿。それがゆっくりたくさん回っている姿は、確かに綺麗         かもしれない。
 だが、やっぱりツナには回転寿司は回転寿司にしか見えないのだ。回り回る寿司を見てきれいだなーと感動するまでの心は、残念ながら持ち合わせていなかった。
「お寿司以外にも、色々なものが回っているんですね」
「オレハンバーグとか好きだよ」
「沢田殿がお褒めになるとは。拙者も是非いただきたいです」
「ははっ、大げさだよー」
「そんなことありませんよ。あれっ」
「なに?どーしたの?」
 一瞬立ち止まりかけたバジルに、ツナは訝しげな視線を送った。なんだろう、とクエスチョンマークが浮かんでくる。バジルは目をしばたかせ、だがツナの視線に気付きすみませんと再び慌てて歩きだした。
「どしたの?」
「あの、その………………アレとアレ、同じものなのにどうして違う値段のお皿に乗っているのかと疑問に思いまして」
「えっ、どれとどれ?」
 バジルが指した指の先を、ツナはババッと辿っていった。何があるのだろうか。まったくお店の人もしっかりしてほしいよ、と思わず内心で毒づいてしまう。
 だが、それはお門違いというものであった。視線の先にあるそれを見とめて、彼女はぶはっと吹き出してしまった。
「さ、沢田殿!?」
「ご、ごめっ、バジル君…あははっ……い、いやでも。アレは違うんだよバジル君」
「えっ?」
 笑いをこらえてツナは懸命に平常心を保とうとした。喉元にまで来ている衝動的な笑みを消そうと、必死に抑え込もうとした。だが、それは少々無理だったようだ。笑みが漏れてしまう。それでもクエスチョンマークを向けてくるバジルを気にして、ツナは1度ゴホンと小さく咳をした。
 バジルが指し示したもの。それは、寿司に紛れて回っている豪華絢爛な造花だった。プラスチックで出来たひまわりは、ライトを浴びながら凛と花を咲かせている。
「あれは、何てゆーの?見栄えをよくするための飾りってゆーか見せ物ってゆーか」
「そ、そうなのですか…?」
「うん。だから取る人なんていないから大丈夫だよ」
 にこにこと、ツナの笑顔は絶えそうにない。あー外国の人ってやっぱり考えること違うのかなー。とぼんやりと考えてしまう。
 だが一方、バジルはツナの説明にきゅーっと赤面してしまった。ぷしゅーと湯気まで出てきそうだ。
「そうとは知らず。拙者、穴があったら入りたい思いです………」
「で、でもほら、バジル君回転寿司初めてだし」
 仕方ないよ、と弁護してみるも、効果は薄いだろう。バジルは、お恥ずかしいですとすっかり俯いてしまっている。
 うっかり笑いすぎてしまったのだろうか。ツナは少し後悔してしまう。だか、結局はもはや後の祭りだ。言ったことを今更撤回することも出来ない。
 小さな小さな沈黙が2人を襲う。だが、静寂はあっさりツナによって破られた。あのさ。と彼女は控えめに声を掛けた。
「でもさー。オレ、バジル君と回転寿司屋来れてよかったよ」
「え?」
 にっこりと笑いかける。ものすごーく言い訳じみてるように聞こえるが、でも一応これはツナの本心だ。そもそもツナはそんなに嘘なんかつきやしない。そりゃあ身の安全のためにあることないこと言うこともあるが、だが根本的に彼女は単純な性格をしている。嘘といってもたかが知れたものだ。
 ツナはにこりと笑いかける。コップを持ってない方の手で人差し指をぴんと立てる。そして、少しでもバジルが立ち直ってくれればなー、とそう思って口を開いた。
「だってさ。回転寿司屋が綺麗だとか造花を取ろうとしちゃう考えとか、今まで思ったこともなかったし。すごい面白いよ!」
「沢田殿……………その言葉は有り難いのですが、今の拙者にとっては少し、酷、です」
 がくっとバジルはうなだれる。ツナのバジルを元気づけよう作戦はものの見事に大失敗。あ、あれっ?とツナは思いっきり拍子を外してしまった。
 ベルトコンベアは廻る回るまわる。えーとえーとと慌てるツナの目の端には件の造花が映りこむ。形の変わらぬひまわりは彼女を嘲笑うようにくるっと華麗なターンを決めて、角を曲がって消えていった。