膝枕、なんていつぶりだろうか。ここ数年は明らかにやった記憶もないし、やられた記憶もない。小学校の低学年の時に奈々の膝に頭をのっけて眠った記憶はうっすらとあるが、それでもぼんやりとしか覚えていない。もしかしたらその記憶自体、小さい頃ってのはこんなもんだろう、と頭の中で作り出した空想という可能性もある。何せツナにとってそれを覚えていようが覚えていまいが関係なかった。生活していくために必要なものでもないし、だいたいその思い出が特別なことっていうわけでもない。それなのに覚えてるって方が不思議なもんだ。
 膝枕の思い出は遠く遠くに消えている。だから、ツナにとっての膝枕は今日この日が記憶に残る最初の第1回目になるのかもしれない。しかしでもだけど、これってどーよ、とツナは遠くに視線をやった。
「クフフ、寝心地はいかがですか?」
「うん。まぁ、お世辞にもいいとは言えないよ」
「そうですか。確かに弾力性には欠けますからね。ですが、慣れれば平気ですよ」
「……………慣れるまでやるんだ」
「もちろんです」
 クフフっと独特の笑い声をあげて、骸はツナの髪を撫でた。ツナは骸の膝に頭を乗せたまま、なされるがままだ。抵抗しようにも、最初に膝枕を強要された時、抵抗しまくって体力を使い果たしてしまったため、最早指1本動かすのも億劫だった。硬い枕に頭を預けたまま、ツナはどーとでもしてくれ、と半ばやけくそ気分でおとなしく寝転がっていた。
 幸い、というべきなのか何なのか。骸はこれといって、変なことはしてこなかった。毎度毎度、わざわざ実体化して突然家に来ては抱きついてきたり押し倒そうとしてきたり、骸の行為はツナにとってかなり大分物凄く目に余るものであった。そのため、彼が何か行動を起こすたびに悉くツナの骸への印象が変態と罵るほど悪いものになるのも、むしろ当然といっても過言ではないだろう。
 だが、今回はちょっと違っていたのだ。そりゃあ膝枕を強制された時はまたか!と毛を逆立てたものだが、それ以降骸はおとなしいものだった。彼曰く、今は甘やかしキャンペーン中なのだそうだ。
 骸は先程から、ツナの髪を軽く撫でたり触ったりするだけだ。
「楽しい?」
 何もしてこない骸に、ツナは少しだけ疑心暗鬼になった。別に何かを期待してるというわけではない。そんなこととんでもない。だが、普段あれだけツナを構い倒している骸が静かにしてる。それが気持ち悪いというか具合が悪いというか。とにかく疑問に思ったのだ。聞かれた骸は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「何故です?」
「何故って………全然楽しそうに見えないから?」
「それはそれは。よくわかりましたね」
「って楽しくないのかよ」
「いえ、楽しいですよ?」
「どっちだよ!?」
 のたりくらりと正反対のことを言う骸に、ツナは思わず突っ込んでしまった。だが、骸は悪怯れもなく笑うだけだ。要するに、からかわれたのだ。
 理不尽なことに慣れてはいるものの、腹が立つもんは腹が立つ。しかしここで怒っても意味がないことはわかってる。怒ってもあっさりとかわされてしまうのだ。あれやこれやと理由をつけて、うまく話をごまかされてしまう。そんなことになってたまるか。そっちの方が怒りは早く納まるかもしれないけど、思い返してみれば何となく後味が悪い。はぁー、とツナはため息を吐く。吐かずにはいられなかった。
「おや、拗ねないで下さい」
「だれが拗ねてるもんか。呆れてんだよ」
「先程の矛盾に、ですか?」
「そうだよ。その通りだよ」
 おやおや、と骸は困ったような表情を作った。だけど、それは彼の本心からのものではないだろう。彼が本気で傷ついたり悲しんだりする姿を、ツナは想像することも出来なかった。
「ですが、どちらも本当のことですよ?」
「は?」
「本当ですよ」
 ふ、と骸の手が止まる。ツナは訝しげに思った。何バカなこと言ってんだ、と怪訝に思ってしまう。離れた熱はしばらく経っても触れてこない。何なのか、と見上げてみれば。悲しそうな淋しそうな楽しそうな嬉しそうな、ともすれば何の感情も含まれていない、真っすぐな2色の瞳と目が合った。
 ぞくり、とツナの背中は震えた。意味もなく、身体中が冷えていく感じがした。視線を外すことが出来ない。瞬きが出来ているかどうかもわからない。ただ彼の瞳を見つめることしか出来なかった。
 真直ぐな2色の視線。だがそれは次の瞬間に、にこりとその色を変えた。
「貴方をこのまま押し倒せなかったりキスできなかったり、ただの膝枕に興じるのはそんなに楽しいものではないです」
「言ってろ」
 つらつらと、にこやかに答えた骸にツナはグーパンをお見舞いしてやりたかった。何考えてんだ、と心の底から冷ややかな視線を送ってやりたくなってくる。
 だが内心、ほっとしたことは事実だった。あのままあの瞳を見続けていたら、自分でもどうなったかわからなかった。別に何がどうなったわけでもないだろうが、それでもあの瞳は本能的に危険だと思った。何も考えれなくなる。何も考えつかなくなる。だから様子を変えた骸に、ツナはほっと安堵した。
「じゃー何で楽しいんだよ?」
 骸の言い分じゃ、今はちっとも楽しくないはずだ。それなのに彼は何もしない膝枕を尚も続行しようとする。その真意がツナにはわからなかった。ぷんすかと口を尖らせるツナに、骸は幼子を愛しむように慈しむようにそれはそれは綺麗に笑った。
「貴方は、」
 骸の手のひらが、そ、とツナの頬に触れる。それ以上のこともそれ以下のこともしない。ただただ触れてくるだけの手を、ツナは何故だか振り払うことは出来なかった。先程の緊張感がまた戻ってくる。振り向いてはいけない、とツナは本能的にそう思った。
「あたたかい」
 静かに響いた声にツナは何も言えなかった。骸の膝に頭を預けたまま、じっと時が流れるのを待っている。何も言ってはいけない気がしたのだ。それに、例えなにそれと疑問を口にしても、彼は答えてくれないだろう。骸はいつも肝心なことをはぐらかしてしまう。
 彼はこの状況を、甘やかしキャンペーンだと言っていた。馬鹿みたいな考え。意味がわからないと喚いた考え。だけどそれは誰のための甘やかしだったのだろうか。彼は今冷たい世界に1人でいる。物理的には誰とも触れ合うことも出来ず、誰にも逢うことも出来ない。ツナが馬鹿馬鹿しいと一蹴した考えは、もしかしたら、もしかしたら        
 頬に触れる熱はしばらくしてゆっくりと離れていった。
「貴方の髪はくせが強いですね。これじゃあ髪が伸びても結べないでしょうね」
 苦笑をもらす声は今までのことを隠すようだ。
 言外に少し貶されているにも関わらず、ツナは黙ったままだった。骸に身をまかせたまま、静かに目を瞑っている。
 反応がないことを気にも留めず、骸はツナの髪に手を差し入れた。梳くように。梳かすように。優しい手の動きは、何だか心地よかった。眠くなってくる。
 だが、指の腹が地肌にあたる感触に、ツナは先程とは違う緊張感を得た。ぞくぞくする。首の裏っかわが震えてくる。度重なる震えに、ツナは思わず身体をまるめて「ふぁっ…!」と声を上げてしまって。そして彼女は固まった。
 何なんだ今のは、と考えたくないことが頭の中をよぎる。くらっと目眩が襲ってくる。だが、残念なことに意識は失えなかった。恐る恐る、ツナは骸を仰ぎ見てみた。骸は手をとめ驚いた様子だったが、ツナと目が合った途端、面白いものを見つけたとばかりににんまりと笑った。
「いやいや、今日は甘やかしキャンペーン中なんだろ!?膝枕以外しないんだろっ!?」
「誰がそんなこと言いましたか?」
「お前が言った!最初に言った!」
「確かに今日は甘やかしキャンペーンですが、何をやるとは言ってません」
「うそ        !」
 動くのも面倒だとか言ってられない。にこにこと笑顔を振りまく骸に、ツナはぎゃーと逃げ惑った。緊張感は限りなくゼロ。オレの余韻を返せ    っ!とツナの叫びが部屋中に轟いた。



少しずつ近づいていく、そしてまた遠のいていく




(とにかくお題/squeezed orange