それは錬金術が発達した、とある国での物語


エゴイスティック・モラリスティック


01.
「はぁ――――……」
 盛大なため息が一つ。参考書やプリントがあちらこちらに散らばった工房の中に、それは一際大きく響き渡った。出所は今更確認しなくてもわかっている。この家の中に、ましてやこの工房の中に、「人間」は1人しかいないのだ。
 これまた細工道具やガラス器具で混沌とした作業台の前に、物憂げに少女が座っていた。鮮やかなオレンジ色の衣裳は腰より上を布で締めあげており、スリットの入った足元からは黒のスラックスが見え隠れする。その足は、椅子に座っている今、きちんと床には付いておらず、ぷらぷらと宙を蹴っていた。たよりないその何気ない仕草は、まさしく現在の彼女の心許ない心理を表しているようにも見える。
「はぁ――――………」
 少女はまたしてもため息を吐いた。それはもう深く深く心の底から。いっそ現実から逃避してしまいたいと思うが、しかし悩みの種から生まれくる頭痛は、幸運なことに夢から彼女を引き離し、逃避が無意味だということを思い知らせてくれた。何と涙が出ることだろうか。少女はため息の素となる物体を見つめて、げっそりと再び息を吐いた。
 小さく白い彼女の手には、丈夫そうな麻の袋が握られている。本来ならば上部を括られているはずの袋は紐が解かれ、ぱっくりとその口を開いてみせていた。普段、銀貨や銅貨を入れているせいだろう。内部は黒ずみ、近づけば鉄臭さが鼻をついてきそうである。しかし、少女はその鉄臭さを気にするのでもなく、ただ、じ、とその中を覗き込んでいた。

 錬金術士の家系に生まれ、自分の意志とはそれほど関係なく入学した錬金術のアカデミー。国で唯一錬金術を扱うこのアカデミーは、宮廷魔術師や優秀な研究者を排出する国髄一の学校である。毎年多くの人が入学を希望し、しかしその門をくぐれる者は僅かしかいない。高倍率も高倍率なこのアカデミーに少女が入学出来たことは、そりゃあ母親の無垢な期待にプレッシャーを感じて人生最大に猛勉強をしたとはいえ、彼女にとって奇跡としか言いようがなかった。何せ合格発表当日、彼女は自分の受験番号が書かれている合格看板を指差して「これ絶対間違ってるよ…!」と叫んでしまったほどである。
 が、しかし、信じられないような奇跡は、やはり長くは続かなかった。というより、続くわけがなかった。



02.
 少女の志望したアカデミーは王都の中心部にあり、生徒のそのほとんどはアカデミーが持つ寮に入ることになっている。もちろん少女も当初はその予定であった。家から通うのでは、少しばかりアカデミーは遠い位置にある。
 新入生が入居出来る寮には、しかし上級生の入居具合からみても、受け入れられる人数には限界があった。ある程度の部屋数を確保しつつも、出身地で合格者を決めているわけではないので、遠方者からの入学生が多い年には、寮からあぶれてしまう人が出るのだ。寮への入居が出来ないため、せっかく合格したのに入学出来ない者が出てくるというのは、全く言語道断の由々しき事態である。そこで、アカデミー側は全ての遠方者がアカデミーで学べるように、ある特例措置を採ったのだった。
 それは、入試成績が優秀であった順に寮を割り当て、あぶれてしまった者1人1人に対しては街にある工房を提供し、そこで暮らしてもらうというものであった。
 少女の入学成績はドベ中のドベ。どう逆立ちしても、優秀な成績とは言えないものだった。そのため、少女は寮の割り当てには完全に洩れ、工房での一人暮しを余儀なくされたのだった。
 今まで親元でのんべんだらりと暮らしてきた少女にとって、工房での生活は苦労に絶えなかった。なにしろ、アカデミーは工房を提供してくれるはいいものの、それ以上のことは何もやってくれはしないのだ。つまり、食費や光熱費という生活費一般は自分で稼がねばならなかった。
 もちろん工房に住んでいても、親の仕送りなどで優雅な生活を送っている生徒もいる。しかし、当の少女の親は「それも立派な錬金術士になるためだ!」と笑顔で自立生活を推し進めてきたのである。
 思えば、昔から楽天的な両親であった。そう言い渡された当時のことを思い返すたびに、今でも少女は乾いた笑いと涙が出そうになってしまう。

 椅子に座ったまま、少女は変わらず麻袋の中を眺めていた。見つめていても何も変わらないのはわかっているが、それでも見つめずにはいられないのだ。
 比較的大きめのその麻袋は、しかしその中身をも容量に比例させているわけではない。そしてそれこそが、少女にため息をもたらす悩みの原因だった。日常的に財布として使い、尚且つ全財産が入っている麻袋には、今や銅貨が数枚、散らばっているだけである。
「……………明日から生活してけるんだろうか、オレ……?」
 思わず洩れてしまった自分自身の言葉に、少女はさーっと顔色を青に染めていった。口に出せば現実感が一層増し、焦燥が胸の内を蝕んでいく。ばくばくと心臓が早鍾を打って痛いくらいだ。
 金欠は、1人暮しを始めて今までに何度か経験してきた。しかし、これほどまでに小銭しかなく、生活が危ぶまれるまでの金欠は、今回が初めてのことだ。
 もし、このままこの状況が続けばどうなるのだろうか。煙突が煙を出すようにもくもくと、少女の脳裏に、食べるものも部屋の明かりも何もなくがりがりのやせっぽっちになってひもじい生活を送る自分の姿が思い浮かんだ。そんなことになるのは、絶対に嫌だ。
「あー、もー、どうしよー!」
 頭を抱える問題だ。実際、彼女は机に肘を突けてその頭を抱え込んでしまった。いっそこれが夢であったら。そう考えるが、妙に澄み切った頭の中はそれを馬鹿らしいと一蹴する。どうしようどうしようどうしよう!不安と焦りが胸中にどろどろと渦巻いていく。と。
「金がねーなら働け」
 唐突に、声と共に背中に降ってきた衝撃に。少女は思いっきり顔面を作業机に強打した。