高慢なるシャングリラ



 ユダの木々が満開に咲き誇るこの時節は雨の多い冬を越し暖かな気候を歩みだす。外はそれらの淡紅色や緑色で溢れかえり観る者の心を潤わす。
 色彩豊かな季節。
 だがそれとは真逆な空間に、ツナは対座していた。

 真っ白な部屋。つん、とアルコールとはまた違う消毒液の匂いが鼻につく。医療の場独特のそれは、いくら窓が無いといえどドアの内外で空気が循環しているこの部屋においても当たり前のように充満している。
 慣れていなければ、些かはむせ返りそうになるその匂い。だが部屋にいる者たちは、身動き一つしなかった。
 何も動かず、何も発しない。ただ薬品の匂いだけが、空気調節機の効いた生暖かい部屋の中を緩やかに支配していた。
「………う……そ…」
 ベッド際に腰をかけた状態のままに、ツナは呟いた。その表情は多分に困惑に満ちていて、大きな榛色の瞳は更に大きく見開かれて目の前を呆然と見つめていた。
 つい今し方、目の前の人物によって告げられた言葉の意味が、ツナはわからなかったのだ。いや、わからなかったわけではない。ただ純粋に、信じられなかったのだ。
 瞬きを忘れそうになる。乾いていくのは瞳だけでなく、喉もであった。言葉を発しようとして声を出そうとして、ひゅっと喉から空気が漏れた。
「………う、そ、なんだろ?」
「……嘘なんかじゃねーよ」
 どうか否定してくれるようにと尋ねて、けれどその思いごと否定された。
 ツナの目の前に座っているシャマルは回転椅子を回して彼女の方を向いてから、まっすぐと彼女を見据えた。
「あのなぁ、確かに俺は冗談は好きなほうだけどよ。人の身体に関わってくることにかんしちゃー嘘は言わねーぜ?」
 呆れ返ったような、おどけた調子の声色。けれどそれとは対照的な、じっと見つめてくる視線に耐えかねて、ツナは俯いた。
 シャマルが医療に関して常に真剣な姿勢をとっているのだということは重々承知している。そんなことはわかっているのだ。
 だから自分は今、ここにいる。
 ツナは寒くもないはずなのに、右手で反対側の腕をさすった。

 どうにもここ数日、身体の調子がおかしいために、仕事を早めに切り上げて医務室に足を運んでみた。吐き気までもよおすほどの調子の悪さに悪質の風邪かと思い、少なくとも薬を貰おうとしたのだった。
 ボンゴレの医務室に常時いるのはシャマル。知り合って10年以上になるこの医者は、女好きが生じて国外に逃亡したりセクハラまがいなことを行ったり、さらには女しか診ないなどというひどくいい加減な人間なのだが、しかし大きな度量や命の扱い方には感心する点が多く、ツナは彼を信頼していた。
 久しぶりに自ら訪ねる医務室。そこで診察を受け何故か様々な検査をさせられて、あとは薬を貰うだけかと思っていたときに、シャマルが急に人払いをし始めた。
 ツナが何事かと思うより早く、部屋は彼と彼女しかいなくなってしまった。静まり返る空間。そしてその場の妙な雰囲気を破るように伝えられた診断結果に、ツナは愕然とした。
「嘘じゃねーよ」
 念を押すように、もう一度シャマルは告げる。ツナは俯いたまま、縋るように自らの腕を掴んでいた。
 身に覚えは、あるのだ。
 おそらくは、彼の人がイタリアから遠い地へ長らく赴き、久方ぶりにこちらへと帰ってきた日の夜のことだろう。互いにセーブが、効かなかった。
 ツナはきゅっと唇を噛み締める。
 この事実を知って、最初に思い至ったのは己の立場などではなかった。それを考えなければならないはずなのに、皮肉にも彼女が思いを馳せたのは、果たしてそうではなかった。
脳内にちらつくのは、単純な困惑と動揺と、そして想う黒衣の死神の姿だけ。
「なぁ、嬢ちゃん」
ツナは俯いたままシャマルの言葉を聞いた。再度された彼の宣告は、彼女に甘い想いと、それを打ち砕く残酷な現実を与えた。
「おまえさん。妊娠、してるぜ?」