俺がダメツナを好き?そんな馬鹿な!

 だってありえねーだろ、んなこと。相手はあのダメツナだぞ!?何をやっても平均以下、運動も出来ねー頭も悪りー、この地上でも稀に見るダメダメな奴だ。
 マフィアのボスになっても甘さが抜けきれねー、銃の扱いもさっぱりイタリア語もまだ全然覚えきれてない、あんな奴に惚れてるっていうのか。この俺が。んな阿呆な!
 ありえるわけがねーだろ、と俺は結論づける。だいたいこんなことを考えること自体がおかしい。あいつはただの、教え子の中の1人にすぎないんだ。
 出会ってから約10年近く。俺はまだあいつの家庭教師を引き受けている。確かに他の生徒より、あいつに接してる時間は随分長い。何たって10年以上も一緒に暮らしてんだ。他の奴との差は歴然だろう。
 9代目の依頼は、あいつを10代目に就任させることだった。だからあいつが10代目に就任した時、俺はフリーの殺し屋に戻ることも出来ていたんだ。出来ていたんだが、そうはしなかった。理由は何よりも簡単だ。俺の生徒の出来の悪さの所為でボンゴレが潰れる。そんな後味が悪くて仕方ない胸くその悪い最悪の話を、耳に入れたくもなかったからだ。
 生徒の失敗は生徒の責任。優秀に育て上げたボスが判断を見誤ることがあっても、俺には手出しすることはできない。だがその失敗を出来の悪さの所為とされたなら、そんなの俺のプライドが許さねー。あいつはまだまだ甘えが抜けねーから。だからまだ、俺は家庭教師を辞めないでいる。ボンゴレ専属の殺し屋と見られながらも、家庭教師を辞めないでやっている。それだけだ。あいつの近くに留まる理由は、それだけの、はずなんだ。

 深く深く俺はため息を吐く。手に持つ書類の束は、これからあいつに渡すものだ。ドアを隔てた向こう側は執務室で、あいつはそこで仕事をしている。
 さっさと、ドアノブに手をかけてしまえばいい。書類を渡して仕事の報告をして早くここから立ち去ってしまえばいい。だが、俺は何故かなかなか動けないでいた。
 最近あいつの顔が、ろくに見れていない。怒鳴ったり叫んだり笑ったり、あいつの一挙一動がひどく胸ん中を苛立たせやがる。騒つきを感じさせてくる。あいつのあまりのダメっぷりに苛立たしさを覚えたのは、それこそこの10年以上で星の数ほどある。だがそれと最近のとでは、少し違うような気がした。
 あいつが何かするたびに、胸ん中に靄がかった引っ掛かりが残っていく。しこりのように溜まっていくそれは、どうしても消えることはなかった。何だって俺は、何の用もない時でさえあいつを思い出してんだ。あいつのことを考えてんだ。どう考えてもおかしいだろ!?
 1人の人間に縛られんのはあいにく俺の性分じゃない。だからここ最近、愛人を増やした。みんないい女だ。教養があって聡明で頭がよく回る。あいつに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらい、上等な女たちだ。だが、それでも、あいつの影は消えなかった。どこにいても何をしてもいつのまにか俺ん中に入り込んできて、胸の奥を掻き乱していきやがる。
 今だって、そうだ。俺があいつのことで悩むなんて、どんだけ馬鹿らしいんだ。俺はまた深くため息を吐く。こんな女々しさは俺らしくもない。さっさと書類を渡してこの場からすぐに立ち去ってしまおう。そう考えて、俺はドアノブに手を掛けた。一応ノックはしてやろうとしたが、そんなもん面倒くせーと思って止めた。怒鳴ってくるだろーがそんなこと知ったこっちゃない。俺を苛立たせるおめーが全部悪いんだ。勢いを付けて銀色に磨き抜かれたドアノブを回す。壊れそうなぐらい殊更乱暴に扉を開けてやる。

 だが、俺が予想していた怒鳴り声はいくら時間が経っても微塵たりとも聞こえてきやしなかった。

 逃げ出していた、ということはない。んなことをすれば後でどーなるか、あいつは良ーくわかってるんだろう。だから、逃げ出すわけがない。
 部屋にはちゃんといる。ペンを手にとって執務机に向かってはいる。だが、用事のあったボンゴレボスは、俺に気付くこともなくだからといって仕事に集中しているというわけでもなく。何かを、この時間には有り得ざらない何かを、真剣に考えあそばれているようだった。
 眉間に皺を寄せて、赤くなったりそうかと思えばすぐに青くなったり、遠くを見つめたり目を細めたり、全く表情に変化が絶えないやつだ。挙句、いきなり机に突っ伏したかと思えば突然顔を上げて、頭を抱えて唸ってやがる。まったく訳が分かんねー。傍から見てる分には、実に面白い光景だろう。俺だってこんな状況でなけりゃ、あいつが俺に気付くまで黙って見守ってやっている。
 だが曲がりなりにも今は仕事の時間のはずだ。あいつに休憩なんてやったつもりも記憶もない。
「何さっきから1人で百面相してんだ、おまえ」
 声を掛ければ、途端にあいつの動きは修まった。おそるおそるこっちを見上げてくる顔は、あまりに間抜けで、あまりに驚愕の表情をしていた。
「りっ、リボ……!」
「真面目に仕事してると思えばサボりやがって。鍛え直しが必要か?」
 そう問い掛ければ、強ばった顔が目についた。これだけは褒めてやってもいいママンに似た榛色の瞳は、焦った色を出し始めている。焦点がたまにぶれて、大方混乱でもしてんだろう。これくらいなら読心術を使わなくても、誰だってわかるってもんだ。馬鹿正直に顔色を変えやがって。ポーカーフェイスは当の昔に教えたはずだ。それなのに、声を掛けただけでのこの慌てっぷり。やっぱりこいつは、まだまだ幻滅するくらいにダメダメの出来損ないだ。
「い、いつから……いつここに来たんだよ…!?」
「いつって、てめーが机に突っ伏すちょっと前からか?」
 にっ、と口の端を上げてみれば慌てふためく姿が目にとまった。滑稽なほどに狼狽えてる様子に、いっそ笑いが込み上げてくる。声も裏返りそうになってるぞ、ダメツナが。口に出さずに悪態を吐くが、やっぱりこいつは気付くはずもない。ただおろおろと慌てていやがるだけだ。
 優越を、感じずにはいられない。こいつ相手に優越もくそもないが、それでもこうして俺の言葉1つで動揺する姿を見るのは、愉しくないわけがない。
 今回もそうだった。狼狽するこいつをどうやってからかおうか、くつりと笑いながら考えを巡らせていた。もう少し突っついてやるか。それとも別の事案で弄んでやろうか。だが、次の瞬間。急にベアリングの軋む音が響いて、俺は不覚にも呆然としてしまった。榛はそれまで以上に、真剣な色合いを出している。
「んなっ!心は………読心術は使ってないよな!?」
 からからと寂しげな音を立てて椅子が床を滑っていった。急に勢い良く立ち上がられて、俺は少し面食らった。ただそれは、こいつの行動程度にじゃ当然なくて、むしろその内容にだ。10年以上前から、こいつに読心術を使うのは日常的な行動だった。それが当然とされていたし、そもそもこいつもそれを容認していた。それなのに、今さら何だってんだ。
 胸が騒つく。苛々する。
 読心術を使ってほしくねーっつーことは、大方ろくでもないことを考えてたんだろう。俺の悪口か、それとも果たしてここからのエスケープ方法についてか。仕事中だってのに、まったくいい度胸をしてやがる。
「そんなに読まれたくねーってことは、俺の悪口でも考えてたか?」
「い、いや、それはマジで違っ…!」
 冷や汗すら流れだしそうな面を一瞥するように笑ってやると、手をつきかざして否定してくる。それが尚更怪しいだなんて、こいつは思ってもみねーよーだ。
 そんなに否定すんならいっそのこと、さっき面倒くさがらずに読心術を使ってやればよかったのだろうか。それよりもむしろ今こそ、ご期待に応えて使ってやるべきなのだろうか。目を眇めて前を見ると、むかつくぐらい慌てた様子が目に入ってきた。腹が立つ。気にくわねー。
 だが俺は、読心術を使うという選択肢を、気付く間もなく考えの中からあっさりと捨てていた。
「正直に本当のことを言ってみろ。今なら銃弾一発ですませてやるぞ」
「死ぬじゃん、それ!ってかマジに違うしッ」
 読心術は使わない。使、えない。
 いつからか。いつからか俺は、こいつに読心術を使えなくなっていた。それはあまりに自然なことで、ともすれば呼吸と同じような動作なのかもしれない。無意識に、静かに、誰が気付くこともなく、いっそそうすることが必要というほど、それは当たり前のことだった。
 心を、読まなくなっていた。読めなくなってしまっていた。
 笑うこいつが何を思い描いているのか。怒鳴るこいつが何を考えているのか。物思いに耽るこいつが何を思っているのか。誰を想っているのか。考えたくもない。知りたくもなかった。
「強情張っても意味ねーぞ。な、ほら優しい先生に話してみろ?」
「笑顔が怖い!笑顔が怖い!むしろどこが優しいんだよ、撃つ気満々じゃねーか」
 認めたくはないが、それは一種の恐怖、なのかもしれない。死神と称される俺が何を血迷ったことと思うが、その心境が一番しっくりきた。
 そうだ。怖いんだ。こいつの心の中に誰がいるのかを知るなんて。俺がいないということを確認するなんて、嫌で仕方がなかった。
 どーせこいつのことだから、考えることっつーのもたかが知れてる。甘ったれた考えか頭が痛くなるぐらい馬鹿なことだろう。けど読心術を使えない俺は、最近のこいつが何を考えてんのか。何を思っているのか知る由もなかった。
「一番手間のかかる生徒に悪口叩かれるとは、可哀相にな。俺も」
「だ、だから、違うっつってるだろ!?オレは」
 だから次に出てくるこいつの言葉なんて、予想もしてなかったんだ。勢い良く飛び出した発言に、不覚にも俺は再び唖然としてしまった。
「オレは、おまえのことが好きってことをさっきから考えてたんだよ!」
 言い放たれた後、部屋は妙な静けさで満たされた。聞こえてくるのは、自分の心臓の音だけだ。固まりつつあった脳は時間が経つごとに正常に戻り、フルスピードで今の状況を処理していく。
 今、こいつは、何を言った?
 今、こいつは、何を言いやがった?
 理解した途端にがなりたてる心搏数に、舌打ちしてる余裕なんてなかった。くらりと甘い眩暈が起きたが表面に出ることはなく、身体の重心を支える脚はしっかりと地に着いていた。ありえねー。ありえねー。そもそも、今さらこんな子供じみた台詞に動揺させられるなんて、まったくもってありえねー。今まで俺は何人もの女を抱いてきただろ。それなのにどうしたってんだ。心ん中で自分自身に数ある悪罵を散々浴びせる。が、それでも、にわかに信じがたい現実に首から上に昇っていく多量の血を止めることは出来なかった。
 爆弾を直下したダメ生徒は、俺と目が合った瞬間に顔を赤く染めていった。あぁなんだこの雰囲気は。妙な緊張感が漂う空間はしばらく続き、いつまでたっても終わらない居たたまれなさに俺は性急に背を向けた。
「…………追加の書類だ。サボるんじゃねーぞ」
 逃げるわけじゃない。ただ用件を済ませたから部屋を出ていくだけで、逃げ出すわけじゃ決してない。強めに閉じた執務室のドアは、予想以上に大きな音を立てた。強烈な音を出して扉が閉じられたことに、しかし俺は気付かなかった。
 心臓の音がまったくうるさくて仕方がない。抑えつけようにも、さっぱりコントロールが効かなかった。頭ん中はさっきのあいつの言葉だけが反芻していて、正直他のことなんてどうでもよかった。いきなり何言いやがんだとか、言ってる意味わかってんのかとか文句を3つも4つも付けたくなってくる。だが何より目に焼きついたあいつの赤く染まった顔が自分の予想を肯定していて、俺は知らず知らず息を吐いた。
「………………あの、ダメツナがっ」
 込み上げる顔の熱さを片手で隠して、お決まりの繰り言を紡ぐ。次に顔を合わせる時はどうやって現れてやろうか。反芻ばかりしている脳裏に無理矢理その問題をねじ込んで、俺はそのままドアに背を預けた。



逃げるが負け



(何だかお題/squeezed orange