ぐるぐるぐるるるぐるるるぐるーー
 昼もとうに過ぎた執務室で、奇怪な音が鳴り響いた。



理解してくれなくてもいいからせめて察してください




「う、ううー……」
 机の上には高々と積みあがった書類の山。そのうちの1枚を処理しようと一番上にあった紙を目の前に置いて、しかしツナは特に何もしないまま机の上に突っ伏した。サインをしようと手に取ったペンを持った状態そのままに、だらりと腕の力まで抜いている。仕事をしたくないというわけではないのだ。どちらかといえば、その逆。仕事はしたい。
 この執務室に回ってきている書類はどのみち自分で処理しなければならないものだし、そうじゃなくても仕事をサボればリボーンによる厳しーーーーい教育的指導が待っている。それを避けるためにもぜひとも早めに仕事を終わらせたいとツナは常日頃思っている。
 だが、ツナは自分の考えとは裏腹に、突っ伏した先程からピクリとも動かない。
 動かない代わりに永延と、その口から呻き声を上げている。机にぴったりと押し付けた額からは、嫌な汗が流れ落ちる。
 先程から動かない、のではなく。動けない、のだ。
 虚ろな目をしながら、ツナはぐるぐると痛む己の腹を触り続けた。
 腹の痛みの原因を、ツナは最初はわからなかった。かろうじて心当たりとなるものは先週きたばかりであり、たとえ不順になろうともこのように早くくることはありえない。
 ならば何かと、ツナは1人で考えた。シャマルに相談しようともしたが、その前にとりあえず自分で考えてみようと思ったのだ。
 考えて考えて考えた挙句、ツナは1つの仮定に行き着いた。
 それは、日本にいた頃にテレビかなにかで聞いたことがあることだった。自分がそうなることはとても納得が出来ることであり、けれどそれは同時に、自分をとてつもなく情けなく感じさせることだった。
「マフィアのボスが銃弾で倒れるっつーのはよく聴くけど、まさかオリーブオイルにあたって倒れるボスがいるたぁーな」
「…り、リボーン……」
 俯いたままどのくらい時間が経っていたのだろう。気が付けば、先程まで執務室にはいなかったはずの黒衣の少年がいつのまにかドアに凭れ掛かっていた。リボーンは突っ伏していたツナに1つため息をつきながら、彼女を呆れた目で見ていた。ツナに名前を呼ばれたのと同時に、かつかつと歩みを進める。そして執務机に積みあがったままの書類を間近に見て、そのままにツナを見下ろした。
「全然進んでねぇじゃねぇか」
「う………………」
 冷たい視線に晒されて、ツナの身体は思わずびくりと震えた。
 だが今回仕事がはかどってないのには正当な理由がある。ツナは一度深呼吸をしてから、目線だけを上げてリボーンを見返した。
「ご、ごめん!…で、でででも今日は、ちょっ…ほん…と…むり。お腹…い、たッ」
 言い訳をしようとしながらも、また不規則的に痛みが襲ってきてツナは顔を顰める。その原因は先刻リボーンが言ったとおり「オリーブオイルにあったった」とのことだが、しかし実はそれは少し違っていた。
 根本的に、オリーブオイルがツナの身体に合わなかったのだ。
 ボンゴレの邸宅には割りと大きな食堂がある。そこは、ボスのツナをはじめとして幹部連中のほとんどが日本人だからなのか、イタリア料理と呼ばれるものなのに何処か日本人の味覚に合うような料理を出していた。高校を出てすぐにイタリアに渡ったときからこの邸宅はこのような破格の待遇をしてくれていて、ツナは何年もの間、ましてや今もほとんどそこで食事を取っている。
 だが、だからといってツナが本場のイタリア料理を食べていないわけではない。たまに思いたったように街中に出かけてふらりと料理店に入ることもあるし、仕事上の会合で昔なら想像も出来なかったような格式の高いリストランテに行くこともある。ツナは食堂の、あまりオイルや香辛料が入っていない料理に慣れてしまっていただけで、今までは付き合い上他の店で取ったディナーもそのたびに美味しく感じられていた。
 が、今回の場合。
 今から1週間程前から政治家や同盟マフィアのボスなどとの会談・対談が毎夜続き、ツナはそのつどオリーブオイルがたっぷりと染み込んだ料理を食べ続けてきた。
 その結果、どうにも昨日から腹の調子がおかしくなったのだ。
 よく日本人がイタリア旅行行くとオリーブオイルが合わなくてお腹壊すって言うけどさ、今まさしくその状態なのかよオレ。と、ツナは泣きそうになりながら、ぐるぐると鳴っている腹を暖めるように擦る。だが、痛みがなくなるような効果はあまりない。シャマルに相談して(原因に心底呆れられながらも)貰った痛み止めのような薬も飲んではいるが、原因が食あたりともまた違うのでこれも効果はあまり期待できない。
「り、りぼーん。ほんと、今日ムリ…!あした、……明日しぬ気でやるからっ…!」
 だから言外に、今日は見逃せ、というメッセージを込めて、ツナはリボーンの目をまっすぐ見つめる。リボーンは冷静にツナを眺めたあと、書類の山を一瞥した。
「明日中に全部出来るってのか?これをか?」
「や、やるよ…」
「俺はやるやらねぇじゃなくて、出来るか出来ねーかを聞いてんだよ」
「う………………」
 リボーンの冷たい物言いに、ツナはうぐと言葉を詰まらせた。そして視線を未処理の書類に移してみる。
 うず高く積み上げられた書類の山は標高30センチといったところか。これだけならまだしも、明日には明日の分の書類が回ってくるのだ。到底1日で捌ききれる量の仕事ではないだろう。
 それを考えると、ツナは頭も痛くなってきた。だが今日は本当にお腹の痛みで何も手がつけられず、こうしてここで椅子に座っているのも辛いのだ。ツナはちらりとリボーンを見やる。この状態の自分を見て、少しぐらい休んでもいいと言ってはくれないだろうかという期待をこめて、様子見る。だがリボーンはただただ呆れて、恰もツナを莫迦にしてるような視線をじっと送ってきていた。
 そりゃあおまえは生粋のイタリア人だからオリーブオイルでお腹が痛くなるなんて想像も出来ないだろうよっ!とツナは血管が切れそうになった。そして同時に、彼女の考えとは裏腹に。瞳に、不覚にもうっすらと水膜が張られていった。
 こんなことで、とも。もう子供じゃないのに、とも思うのだが。それでも自然に張られていくのだから止めようもない。
「も、もーやだ」
 仕事をしたくても出来ない自分にもそうだが、なんでオレオリーブオイルなんかで腹壊してんだよありえないよ、とか、お腹がひどく痛いこととか。それに、あくまでも常なる厳しい態度を取り続けるリボーンに対しても、なぜだか無性に悲しくなった。
「もーやだーーー、お腹いたいイタリア嫌い日本帰りたい日本食が食べたいご飯がいい味噌汁がいいもうやだイタリアってかやっぱお腹痛いーーーー」
 涙こそ流さないが、幼い子供が駄々を捏ねるように、ツナは大声を張り上げる。そしてそのまま机に再び突っ伏してしまった。
 彼女は童顔で成人した今でも少女じみてはいるが、しかしこのようにまさしく子供のような態度を取ることはなかった。抗争で負傷した際も、周りの者に昔と同じ理不尽な要求をされた際もだ。だが今回は、不可抗力の想定外の、それもあまりに馬鹿らしい原因による肉体の苦痛が精神を不安定にしてしまったのだろう。いやだいやだと頭を振るその姿は、まさしく小さい子のそれである。
 リボーンはそのツナの行動に目をぱちくりとさせた。それは常時の彼とは程遠い、呆気に取られた表情をしている。
「………お、おい」
 恐る恐るといった感じでリボーンはツナに呼びかける。しかしツナは応えるどころか起き上がる様子もない。そのふるふると僅かに震える姿にリボーンはため息をついたあと、ちっと舌打ちをしながら髪をかきあげた。
「おい。……………チッ、ちょっと貸せっ」
 言うや否や、リボーンはツナの手にまだ握られたままであったペンを掠め取った。ツナは驚いて思わず顔を上げる。いきなりいったいなんなんだと、その表情は物語っていた。
 リボーンはそんな彼女の無言の問いかけを無視して、積み上げられた書類の山をむんずと持てる分だけ掴みとった。それを奪い取ったペンと一緒に来客用のテーブルの上に乗せる。そしてソファーにどかりと座り込んで、本来ならツナが処理しなければならない紙切れに黙々と目を通していった。
「リボーン……?」
 リボーンの行動の意味が分からず、ツナは怪訝そうに少年の名前を呼んでしまった。
「何、してんの?ってか、もしかし、て、………手伝ってくれるの?」
 もしかしてもなにも、リボーンは今ツナの目の前で書類を処理してる真っ最中なのだから疑う余地もなにもないのだが。しかしツナには眼前の出来事が信じられず、思わず確認の問いかけが口からすとんと滑り落ちた。
 リボーンはいったん手を休め、それからじっとツナを見据えた。そしてまたしてもあからさまなため息をツナに見せつけてから。口角が、上がる。
「俺の貸しは、高いからな?」
 常にあるような意地の悪い微笑ではなく、ふっと苦笑じみたそれ。
 それにしばしの間呆然としていたが、状況が把握できたのかツナは嬉しそうににっこりと笑った。
「…………うん!うん!」
「わかったならとっとと寝ろっ。ボスがそんなんじゃ示しがつかねぇ」
 嬉しそうなツナの様子を見とめたあと、早急に視線を手に持っている書類に移してリボーンが冷たく言い放つ。ツナはそれに苦笑しながらも、ゆっくりと席を立った。
 立つ時にやはりお腹が痛んだが、それでもリボーンの、おそらくツナの身体の調子を案じて執ってくれたのだろう行為を無碍になんかできるわけもなく、そのままツナは私室に戻ろうとする。
 執務室を出る前に、一度室内を見渡す。ドアの前からちょうど見てとれるソファーの背もたれ越しに、見慣れた黒い帽子がカサカサと紙の擦れる音とともに僅かに揺れて動いていた。
 結局リボーンは、昨日から今に至るまで、ツナに労わりの言葉なんてかけてくれなかった。けれどそれがあまりに彼らしくて、そして今彼が行なってることがあまりに彼らしくなくて、ツナはくすりと笑ってしまった。
 笑った所為で、振動でまた少しお腹が痛くなる。声を出すのも億劫になる。それなのに、ツナは彼に伝えたいことがあって、伝えなきゃいけない言葉があって、ドアを開ける前に、そっと、そのソファーの方へと向けて呟いた。
「ありがとう、リボーン」







(何だかお題/squeezed orange


あまりにも馬鹿馬鹿しのでホントは戯言用のネタだったんですけど長くなったので普通更新に昇格。