すん、と鼻をひくつかせてみれば馴れ親しんだ香りが鼻腔をくすぐる。ずいぶんと懐かしく感じるかつおと昆布のだしと独特の油っぽい匂いだ。
 でかでかと商品名が書かれた赤いふたは既にはぎ取られていて、発泡スチロールの器の中で白い麺とおあげがぷかぷかと浮かんでいるのがよく見える。10年後に飛ばされてからはとんとお目にかかっていないインスタント麺が、ツナの目の前で湯気を立てていた。
 見覚えがありまくるそれに、ツナは10年後でもまだこの商品売ってるんだ、と一度見当違いの方向で目を丸くしていた。この調子だときっと緑の方も健在なのだろう。どちらかというとこのようなうどんやそばよりラーメンの方が好きなのだが、文句を言える立場じゃない。むしろ今は文句を言っている状態でもなかった。10年間であまり変わっていない食事情に僅かに感心しながら、しかしそれ以上に目の前の食べ物に、正確には目の前に食べ物が置いてある事実に彼女は驚愕を顕にしていた。
 正直この状況で、まともな食事が出てくるとは思いもしなかった。インスタント麺がまともな食事かと問われれば一般的には些か首を傾げてしまうものなのだが、それでも沢田家では奈々が出かけている時など夕食がインスタント食品であることはたまにあり、それのみでも十分立派な食事だとツナは認識していた。
 相手の意図はどうあれ、彼女は今敵に捕まり手錠をかけられ敵のアジトの一室に閉じ込められているのだ。これでまともな食事が出てくると思うほうがおかしいだろう。しかも相手は、これは先入観でしかないが、どうにもあまり食事を取らなそうなイメージがあった。
 まだ半日程度しか一緒にいないが、スパナはツナの炎を計測している時もデータ入力をしている時もいつだって糖分を補充していて飴を手放しているところを見なかった。まさかまったく食べないと思ったわけではないが、しかし彼の概念に食事というものがあるのかどうか危惧していたのは紛れもなく真実で、ツナはこうして目の前の自称チャブダイ他称ドラム缶の上に置かれているカップ麺を見ても未だに少し信じられない思いでいたのだった。
 スパナがこの部屋のどこかから掘りあててくれた椅子に座りながら、スープに浮かぶ乾燥ネギをじぃっと見つめる。椅子のパイプにはオイルが少し付着していたが、特段気にするようなことではなかった。匂いもまったく気にならなかったし、それにツナの意識もそれとはまったく別の方向に行ってしまっていた。
 それにしてもご飯として飴を差しだされなくてほんとよかったー、と彼女はまざまざと思うのだった。いくら何でもそんなバカなことをとは思うのだが、しかし意外にも否定しきれない可能性もあったことは事実で、ホッと安堵していた。見慣れたカップ麺は空腹も伴って実に美味しそうに見えてくる。
「何だ、食べないのか?」
 不意に後ろから声を掛けられて、ツナはびっくりしてうおっと奇声を上げてしまった。だが驚かせた当のスパナはまったく気にすることもなく、のんびりと彼女にいれたばかりの緑茶を差し出した。
「嫌いなのか?ソレ」
「いや、そんなことは…ない、けど……」
「だったら食べろ。あんたに体調崩されちゃ元も子もない」
 言って彼は自分用の緑茶を口に含んだ。
 食べないで体調を崩すもなにも、これから先ずっとインスタント食品だとしたらそちらでも身体を壊しそうだと思うのだが、それは言わないことにした。本来なら身体の心配どころか、殺されているはずの立場だ。こうして食べ物を貰えていることだってありがたい。
 それに何だかんだいって、ツナもお腹が空いたのだ。そんなことはないだろうが、余計なことを言ってカップ麺を取り上げられたりしたら元も子もない。とりあえず害となることはまったく見当たらないのだ。それなら、人の好意は素直に受け取っておこう。
 さて食べようかと思ってカップ麺の隣に置かれたフォークを取ろうとして、しかし次の瞬間どうしたものかと彼女はスパナを仰ぎ見た。
「あ、あの……」
「何?」
「えーと、食べたいのは山々なんですけど…………コレ」
 ツナが手を持ち上がると、じゃらりと鉄が擦れあう音が聞こえた。彼女に付けられた手錠は今もしっかりと彼女の手首をホールドしていて、これじゃあ何も持てやしない。
 食べることを不可能にする手枷を見せても、スパナは何の反応も示さない。ただ黙って自分でかけた手錠を見ているだけだ。
 これはこのまま食べろということだろうかとツナは不安になった。無理なことではないだろうが、女子として、いや人間としてそれは非常に避けたい。そんなことをするぐらいだったら、何も食べない方が断然マシである。思わず不安げに瞳を揺らしてしまう。
「………しょうがない」
 だがその彼女の視線を事前に和らげたのは、スパナの淡々とした妥協の言葉だった。気絶して寝ている時でもずっとかけられ続けていた手錠をこんなにもあっさりと外してくれるとはよもや思いもしなかった。もっとも、この場合は仕方ないのだろう。そうしなければ食べられるものも食べられやしない。
 こちらに近寄ってくるスパナに、ツナは手錠を外してくれるものだと信じて疑わなかった。しかし彼の行動は、彼女の思考の斜め上方に行ったきりで、決して彼女の元に返ってくることはなかった。
「ウチが食べさせてやる」
「はっ…?」
 おもむろに彼はチャブダイの上に置かれたフォークを手にとって、白い麺をクルクル器用に巻き付けていった。
 スプーンなしでも綺麗に麺を巻き付けれるなんてさすがは外国人、とツナは現実逃避よろしく思わず感心しかけてしまっていた。が、はたとすぐに我に返り、巻かれてゆく白い麺のようにぐるぐるとその思考を回転させていった。
 彼は先ほど何を言ったのか。今まさに何をしているのか。
 それは考えれば考えるほどに1つのことしか示していなくて、ツナはわけもわからず急速に焦っていった。
「口開けて」
 ずいっと目の前にフォークが差し出される。十分注意して水気を切ったはずなのに、巻き付けられた麺からスープが1雫ぽたりと落ちてツナの服に染みを作った。彼女はこの状況が恥ずかしいやら嫌だやらありえないやらで顔を赤くしたり青くしたりしてまったく忙しない。それでも口を開こうとしないツナに、スパナは致命的な言葉を抑揚もなく言い放った。
「はい、あーん」
 悪気がないのはわかっている。
 彼にとってこれが最善の方法だからやっているということもわかっている。
 それでも、込み上げてくる羞恥心やら色々な感情が素直に従うことを遮って、無理っ、とツナは赤くなった顔をぶんぶんと横に振り続けた。



赤心はつつしんで




スパツナは、マイペースなスパナにツナが終始振り回されてるというシチュがとても萌えます!