「ツナさん、一緒にチョコ作りませんか?」
 その言葉が、すべての始まりだった。



バレンタイン行進曲 1



「おじゃましまー、す」
 チャイムを押して、出迎えてもらって、ツナは控えめな声を出しながら家の中に入った。その様子はいささか緊張しているようにも見える。
 学校からいったん家に帰り、それから自主的に出掛けることなんて、今までのツナの人生の中ではあまりなかった。それは、これまでのほとんどの用事が学校帰りで済ませれるものであったということもあったが、主に近くに遊ぶ友人がいなかったという理由が強い。
 だからツナは、お使い以外で出掛けるという行為に気分は高揚し、ましてや予てならありえなかった友人の家に行くという行いにドキドキとしていた。
「うん。いらっしゃいツナちゃん」
 にこりと笑って、この家の住人の京子がツナに中に入るよう促す。
ツナは靴を脱いで、それを玄関の端に揃えて置いた。
「ツナちゃんうち来るの初めてだよね」
「う、うん」
「ごめんね。せっかく来てもらったのにこんなに汚い所で」
「えっ、そんな。全然綺麗だよ!」
 京子の部屋へと案内されながら、申し訳なさそうに眉を八の字にしながら笑う京子に、ツナはぶんぶんと手を振ってその言葉を否定する。
 部屋へ行くためにちらっと通った居間や廊下しかツナは見ていないが、その何処もがきちんと片付けられていた。これが汚いというのだったら、お菓子の袋や漫画が床に転がっているツナの部屋は汚いを通り越して悲惨な状態ということになってしまう。
 「それを言うならオレの部屋こそ汚い所だから」とツナは自嘲気味に笑う。
 京子は不思議そうな顔をして「そうかな?そんなことないよ」と言った。そして一つの部屋の前に立って、ドアノブを廻した。
 部屋の中はシンプルな内装をしているが、カラーボックスの上にぬいぐるみが置いてあったりと全体的に女の子らしいものであった。
 その部屋の真ん中には、小さめな白いテーブル。
 その周りには、眉間に皺を寄せながら本を眺めている人物がいた。
「もう来てたんだ、ハル」
「あ、ツナさん」
 呼び掛けられて、ハルと呼ばれた少女が本に向けていた視線をツナへと移す。
 まだ部屋の前で立っているツナを京子は「入って入って」と手招きして、そしてテーブルの周りに座った。
「荷物は適当な所に置いていいから」
「あ、うん」
 適当な所と言われても正直何処に置けばいいのかわからない。ツナはとりあえず邪魔にならないように気を付けて、ハルの荷物の隣に鞄を置いた。次いでコートを脱ぎ、それを鞄の上に乗せて、二人のもとへと行った。
「ハルちゃん、何かいいのあった?」
「うーん。迷いますね」
 つらつらと本のページを捲るハルに京子が話し掛ける。ハルが今読んでいる本はチョコレートを使ったお菓子の作り方が書いてある料理本。
 そもそも本日2月13日。この三人が集まったのは、明日のバレンタインのためにチョコを作ろうという話になったからである。
「ダメです。どれも美味しそうに見えてハルにはとても決められません」
 もう一度最初のページからぱらぱらと本を見てから、ため息を吐きながらハルがテーブルに本を置いた。京子もまた「ホントだよね」と言って苦笑する。
「ツナちゃんはどれがいいと思う?」
 聞いて、京子はツナにハルが見ていた本を手渡す。ツナはそれを受け取って、じっくりと中身を確かめていった。
 チョコレートケーキ、チョコレートムース、チョコチップクッキー等などの作り方が、完成後の綺麗な写真つきで載っている。確かに、どれも美味しそうに見えて決められないというハルの言い分も頷ける。
「ほんとに迷うね、これ」
「ううっ、早く決めなきゃいけないことは頭ではわかってるんですが無理ですー」
「うーん。あっ、でも、渡す時とかに不便だからムース系はやめたほうがいいかもしれないね」
「そっか。確かに」
 京子に指摘されて、ツナは今度はムース系を視野に入れないで本を見ていく。
 それでもまだまだ種類が多いのは変わりはなかった。
「ただチョコレート溶かして固めるってだけじゃつまりませんし」
「ケーキは……………時間掛かっちゃうしね」
 はぁ、とハルと京子は再度ため息を吐く。何を作るのか早く決めなければ、ただただ時間がすぎてしまい作れるものも作れなくなってしまう。しかも作るものが決まっていないため、まだ材料の買い出しも済んでいないのだ。時間はなるべく有効に使いたいと三人の少女は思う。そんな時。
「あ、これおいしそう」
 ツナが、ぽつりと零した言葉に他の二人は身を乗り出した。
「えっ、どれどれ?」
「どれですか、ツナさん?」
「うぇええ?」
 ずずずずいっと京子とハルに近寄られて、ツナは少し狼狽えた。だがまごつきながらも、「これ」と言って、見ていたページを広げて、本をテーブルの上に置いた。
 その頁には、全体にココアが塗された小さくてころんとしたチョコレートの写真が載っていた。
「トリュフかぁ」
「へぇ、……いいかもしれませんね!」
「うん!」
「え、えっ、えっ!?」
 写真を見て盛り上がる二人にツナは慌ててストップをかける。
「えっ、本当にこれにするの?難しくない?」
「大丈夫ですよ!」
「うん。さらっと作り方読んだ感じだとそれほど難しくないみたいだよ」
 ほら、と京子がツナに本を見せる。なるほど確かに簡単そうに書かれてはいるし、ご丁寧に少ないほど簡単に作れることを示した調理の難易度をさす星の数は、5個中2個となっている。
 それでも、大丈夫かなとツナは不安に思うが他の二人の楽しげな様子を見ているとそんな気持ちも吹っ飛んでいった。
「そうと決めれば、さっそく材料を買いに行こっか」
 楽しそうに笑って、京子が立ち上がって机まで行き、紙切れとペンを持ってくる。
「はい!」
「そうだね」
 材料をメモした後、三人は外へ出る支度をした。