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バレンタイン行進曲 7
カツンカツンとチョークが黒板を擦る音が教室に響く。黒板に羅列された言葉を説明していく教師の声。それに伴って聞こえてくるはずのシャープペンシルが走る音は、ほんの少ししか奏でられず、むしろガサガサとペンなどを筆箱にしまう物音が教室中を包む。
授業終了まであと数分。
もう少しでお昼休みに突入するというこの時間。生徒達はもはや授業へのやる気など失せ、次々に教科書を閉じていく。教師は彼らのそんな行動を怒る事無く、ただただ幾分か話すスピードを上げて今日の授業のノルマを早急に終わらせようとしていた。
多くの生徒は早口で説明される授業内容を右耳から左耳へと聞き流していく。がやがやと教室内がより騒ついたそのときに。キーンコーンカーンコーンと、妙に間延びした授業終了のチャイムが並盛中校舎全体に鳴り響いた。そうなると教師は話を止め、開いていた教科書や資料をまとめあげ、颯爽と教室を出ていった。生徒達はようやく授業が終わったーと各々安堵し、腕を伸ばしたり、さっそく友人同士で集まってお弁当に手をつける者もいた。
「はぁー…」
教科書やノートを片付けもしないで、ツナはだらーっと机にしなだれかかる。休み時間が途中で含まれるため続け様というわけではないが、朝から学習し続けるのは勉強嫌いのツナにとっては苦痛極まりない。
もっとも、ほとんどの授業内容が理解できなかったため、学習といってもただツナの頭の中を奇妙な単語が通り過ぎていくだけという状況だったわけだが、こうも長い時間わけのわからない言葉を聞かされ続けることは存外疲労がたまるものである。
「あ゛あ゛、疲れた……」
ツナは机に額をくっつけて独りごちる。4限目後の疲労。それはいつも感じることであるが、だが今日のそれはいつもの非ではなかった。
それというもののツナは本日リボーンの命令で獄寺に山本、雲雀に了平と、それなりに近しい異性にバレンタインチョコを渡さなければならない。朝学校に来る前に獄寺には渡したが、あと3人残っている。
お昼休みになろうとする現在、しかしツナの鞄には依然ラッピングされたチョコが3つ入ったままであった。
この休み時間になるまでにツナは残りの3人にチョコを渡そうと休み時間のたびに色々と試みてみたのだが。山本は朝以上に女子に囲まれていて容易に近付けず、雲雀と了平に渡すためには当たり前だが上級生の教室にいかなければならなかった。最下級生のツナは上級生の教室に行くことでさえ恐ろしい。それ故に、彼女は中々チョコを渡すという行動に移せないでいた。
とはいっても、チョコを渡さなきゃという脅迫概念だけは彼女の心にしっかりと根付いている。ツナは渡せない間もぐるぐるとこれからのことを考え続け、授業と授業の間はほとんど休んだ気がしなかった。
はぁーとツナはため息を吐く。例え10分という短い時間でも、休息というものがいかに大事か身に染みた。騒がしい教室に目もくれず、ツナは机の上にだらりと腕を伸ばす。が、突如何かに気付いたようにはっと目を見開いて、ぐるんと後ろの方を向いた。
視線の先は山本の席。
今は昼休みが始まってすぐ、全校生徒達の多くが昼食を食べている時間である。それならばたぶん今この時に山本にチョコを渡そうとする女子もあまりいないだろう。山本の周りにいる女の子のパワーに負けて今まで近寄れもしないでいたけれど、女の子が居さえしなければ何とかなるはずだ。そう考えて、ツナは期待を込めて後ろを振り向いた。
しかし瞬間、彼女の期待は脆くも崩れ去った。
チョコを渡す当の本人が、教室にいないのだ。おそらく、購買に昼食を買いに行ったのだろう。せっかくチョコを渡せるチャンスだったのにと、がっくりとツナはうなだれた。彼が教室に戻る頃にはたぶん、また女の子が周りを囲んでいることだろう。そうなればいつまでたってもチョコが渡せない。
すごすごと姿勢を戻しながら深々とため息を吐くツナの頭を、その時何かがこつんとこづいた。
「何しけた面してんのよ。さっさと弁当食べるよ」
見上げれば、弁当を持った花がすぐ隣に立っていた。ツナをこづいたのはその弁当でだろう。ツナの頭の少し上に弁当を持ったままの花の腕が静止していた。
「あー、うん………そだね」
疲れ切った表情を隠しつつ、へらりと花に笑顔を向ける。そして鞄の中から弁当を取り出して、ツナは何かを吹っ切るように勢い良く立ち上がった。
机と机をくっつけて食事の場所を確保してから、念願の昼食タイム。
京子や花と話すようになって以来、ツナは彼女達と一緒に昼食を取るようになった。教師からの呼び出しや用事がない限りは、京子の席の周りに集まってお弁当を食べる。今日もツナはよっこらせっと掛け声をあげて、クラスメイトの机を京子のそれに寄せた。隣で花も同様のことをしている。席が整ったなら椅子に腰掛け、3人は他愛もない話をしながら、弁当を食べはじめた。
席に着いてすぐ、他の2人と同じようにツナは弁当袋から弁当を取り出す。中身は母である奈々が毎日わざわざ朝早くに起きて作ってくれているものである。林檎を兎にだとか人参を星型にするなどと凝ったりはしないのだが、栄養バランスをしっかりと考えていてくれ、ツナの弁当はいつも色彩豊かに彩られている。
蓋を開けると今日も、赤や緑や黄色が品良く盛り付けられている。カラフルなお弁当というのは視覚からも食欲をそそるものだ。
しかしツナは少し食べたあと、残りを口に運ぶこともなくそれを箸でつつきはじめた。お腹が空いてないわけではないし弁当がまずいわけでもない。ただ、胸の奥にあるあと3人にチョコを渡さなければいけないという概念が無意識のうちに身体を支配していって、食欲がなくなってしまったのだった。
「ツナちゃん。食べないの?」
弁当を食べるでもなく、京子達の話に相槌を打ちながらずっと箸でおかずをつついているツナに、京子は不思議そうな表情を浮かべる。
「もしかして具合悪い?」
「へ?いや、全然そんなことはないんだけど。…………ちょっと食欲なくって」
心配そうにこちらを伺ってくる京子に、ツナは曖昧に笑いかける。
「珍しいね、あんたが弁当残すなんてさ。明日は槍が降るんじゃないの?」
「どーゆー意味だよそれ……」
頬杖をついて悪戯げに笑いながらずいっと顔を寄せた花にツナは半眼する。もっとも花の言ったことが冗談だとわかっているので、その場の雰囲気は和やかなものだ。
からからと3人笑いあって、食事と会話を続ける。
そのような状態が続いた、昼休みが始まって15分頃。食べるのが早い人はもう昼食を食べ終わるだろう時間帯。
騒がしかった教室が、また一段と騒がしくなった。どうやらクラスの男子が廊下にいる女子に呼び出されたらしい。今日この時間に呼び出されるとなると、それはやはりバレンタイン関係だと大方予想が付く。そうなればクラス中の視線が一斉に廊下に向かう。
ツナ達もその例外ではなく、呼ばれた男子が出ていった教室のドアに何とはなしに視線をやった。
「………勇気あるね、あの子」
今頃廊下でチョコを渡しているだろう女の子を思って、ぽつりとツナは呟く。それに京子も花も同意を示した。
朝から続く獄寺や山本を取り巻く女の子達を見て感覚が麻痺していたが、思えばバレンタインにチョコを渡すという行為は恋人や仲のいい男友達にあげる以外、とても勇気がいることではなかろうか。
今男子を呼び出した女の子の勇気を、オレにもわけてほしいよ。
ツナの場合は好きな人にあげるというわけではないので勇気の種類は若干違うかもしれないが、それでもまだ鞄の中に3つチョコが残っているという己の状況を思い返して、ツナはとほほと嘆息した。
何も掴んでいない箸を口に入れる。もそもそと箸の先を噛んでいると、京子に尋ねられた。
「あっ、そういえば。ツナちゃんはもうチョコ渡したの?」
「う、うえええ!?」
現在進行形で、これからどう残りの3人にチョコを渡していこうかと考えていたツナは、京子の質問に奇声を発してしまった。しかし京子が、ツナがリボーンに命じられたことを知る由もない。即座にツナは、チョコを作る際に自分は子供達に渡そうかなと言っていたのを思い出した。
「あ、いやっ!まだ渡してないよ。ランボなんかはオレが家出る頃もまだ寝てたし」
「そっかぁ。んー、でもそうだよね。私もまだお父さんにもお兄ちゃんにも渡してないもん」
変なこと聞いちゃったねと京子は恥ずかしそうに笑う。ツナもつられて笑いながら、あれっと京子の言葉に引っ掛かりを覚えた。そして頭の中で反芻する。京子の兄は言うまでもなく笹川了平であり、その人物はリボーンがツナにチョコを渡せと命じた奴らの内の1人である。その彼にチョコを渡す予定の人が未だそれをあげてないとなると。ツナは期待をこめた瞳で京子を見つめた。
「まだお兄さんにもあげてないの?」
「え?あ、うん」
「じゃ、じゃあさ!今からお兄さんの教室に行ってチョコ渡すの?」
だったら是非それについていきたい、と強くツナは思う。1人で上級生のいるところに行くのはかなりためらいがあるが、他の人と一緒にならまだましだ。それが目的の人物の人の妹と一緒ならば、百人力というものである。
だが、それは明らかな見当外れの言葉であった。その証拠に京子は驚き、花は呆れ顔でツナを見とめた。
「あのなー、あーもー何馬鹿なこと行ってんだか。兄妹なんだから普通学校で渡すわけないでしょ?」
「……………………………あ」
呆れながらの花の指摘に、ツナはそのままの姿勢で一瞬フリーズした。そして自分が京子に言ったことをもう一度考えてみると、恥ずかしさで噴死したくなった。
「あ、あははははは。そ、そそそうだよね!学校で渡すわけないよね!何言ってんだろオレ。はは、あはははは……」
赤くなりつつある顔を冷ますように手でぱたぱたと扇ぐ。どうやら、チョコを渡さなきゃという多大なプレッシャーから、ツナの思考回路は妙な方向に突っ走ってしまったらしい。よく考えなくてもありえないことを口走ってしまって、馬鹿じゃん、オレ馬鹿丸出しじゃん!と心中で自分を罵倒する。
「あはは、やっぱり面白いよね。ツナちゃんって」
そんなツナをいつもの天然パワーで面白いと評価し、京子がにこりと微笑んだ。アホな奴、とため息を吐きながら花も笑いかけてくる。テンパったままのツナは口の端を引きつらせながらはははっと大袈裟に笑ってみせた。
もっとも、了平にチョコを渡す場合は、京子と一緒に渡しに行かなくても、別段京子にチョコを預けてお兄さんに渡してほしいと頼めば一番手っ取り早いのだが、妙な方向に思考が爆走中のツナの頭はあくまでも自分で渡さなきゃと勝手に決め付けており、そう頼むことさえ念頭に置いてなかった。
頑張れオレ!これから放課後までが勝負だッ!とツナは自分を叱咤する。そして意を決したように、ほとんど手を付けていない弁当の蓋をがちりと閉めた。
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