「………落ち着け、落ち着くんだオレ」
 がやがやと生徒達がごった返している廊下で、ツナはまるで呪咀のように先程からその言葉を繰り返した。
 目の前にあるのは、応接室に続く扉。



バレンタイン行進曲 8



 弁当を食べ終わる、というよりもご飯もおかずも残っているのに蓋を閉めて強制終了したツナは、それからは京子たちと別行動を取ることにした。まだチョコを渡せていない残りの3人に、さっさとチョコを渡すためである。
 本音を言えば、2人にも渡すのに付いてきてほしかったのだが、しかし「うちの子供たちに渡す」と言った手前、なんとなく「チョコ渡したいからちょっとそこまで付き合って!」などとは言いづらい。それに、渡す理由を聞かれても、まさかリボーンに命令されてとは言えないだろう。何せ京子たちはリボーンを普通の赤ん坊だと思っているのだ。命令されたことは本当のことだが信憑性がなさすぎる。
 たとえ僅かでもあらぬ誤解を受けたくないツナは、京子たちが彼女を茶化さない性格だとわかりつつも、自分1人でチョコを渡しにいこうと決心していた。
 ツナは京子たちと別れてから、自分の席に戻り、鞄に入れたままのラッピングしたチョコをポケットに入れて廊下に出た。
 目的の人物は3人。
 山本は昼休みが始まったときから姿を消していて、今も何処にいるのかわからない。この広い学校で見つけだせる可能性は低いし、見つけたとしても見つけただけで昼休みが終わってしまいそうである。それならばこの時間、渡せる可能性が高い他の2人に、会いに行ったほうが効率がいいのではないだろうか。ツナはそう考えながら廊下を歩きだした。
 他の2人。それはつまり雲雀と了平であって、2人ともツナの上級生である。
 彼らに会うためには、必然的に上級生のクラスに行かなければならない。それ故にツナは、ひどく気が重かった。
 下級生が上級生のクラスに行くときの緊張具合は、並大抵のものではない。考えれば考えるほど気が滅入ってくる。重たい足取りでのろのろと廊下を歩いていくと、ふとツナはあることに気付いた。
 了平については、ぼんやりとだが彼が教室にいるというイメージはあるが、雲雀についてはまったくそのイメージがない。むしろ彼がどこのクラスに在席しているかも、ツナは知らなかった。彼の印象とは、最初に会ったときのものが強烈すぎた所為か、常に応接室にいるというものだった。
 雲雀がいるであろう応接室と了平がいるであろう上級生のクラス。それはツナたちの教室を中心とみれば、ほぼ対局の位置となる配置になっていた。どちらに行こうかツナは迷う。別にどちらでもいいのだが、それによって歩く方向が決まるのだから結構重要な問題だ。
 上級生の教室に行くのは、極力避けたい。向こうに他意はないのだろうけど無条件に視線が怖いのだ。
 ならばここは応接室に行ったほうが、まだマシなような気が、ツナはした。それに応接室はもともと人が寄り付かない場所なので、あまり注意も引かないだろう。注目を浴びることに慣れていないため、なにかと人の視線を回避したいツナにとっては、それは願ってもないことだ。
 そう考えていくと、自ずとどちらに行こうか迷っていた考えの答えが明確になる。
 基本的にツナは嫌なことは後回しにするタイプなので、よしっと気合いを入れたあと、とことこと応接室へと向かっていった。

が。ツナは忘れていたのだ。
応接室にいるはずの雲雀は、“あの”雲雀恭弥なのだということを。

 果たして彼が素直にチョコを受け取ってくれるのか。という以前にむしろ、ドアを開けたらいきなりトンファーで攻撃されたらどうしよう等々。応接室に近づくたびに、ツナの頭の中に最悪の想像が浮かび上がっていた。
 だが、応接室の扉の前まで来てしまったのだ。後には退けない。
 ツナは恐怖からくる常ならぬ多い心拍数を押さえるために深呼吸を何回か繰り返す。
「大丈夫、きっと大丈夫なはずだ…!」
 もはや何が大丈夫なのかもわからなくなりつつも、そう呟く。ポケットの中からラッピングされたチョコを取り出してぎゅっと握り締める。そして落ち着くためにもう一度深く息を吐きだしてから、応接室の扉をノックした。
「し、失礼します」
 ノックをしても返事が返ってこなかったので、無礼かと思ったが応接室の扉を開けてみる。内部の一部が目に映った瞬間、いきなり攻撃されませんようにッとツナはぎゅっとその目を瞑った。
 しかし、何かが動く気配すらいっこうに感じ取れない。
 そろそろと目蓋を上げてみると、そこには誰一人いない、がらんとした空間が広がっているだけだった。
「あ、れ……?」
 予想外のことに、ツナは拍子抜けしてしまった。殴られることは想像していたのだが、まさか雲雀が応接室にいないとは考えていなかった。
 ホッと安堵のため息が漏れる一方で、しかしせっかくここまで来たのになという口惜しい感情が胸の内に広がっていった。
 ドアの所から顔を突きだして、ぐるりとツナは応接室の中を見渡す。が、やはり人は誰もいない。雲雀がいないことを無念に思いながらも、とりあえずこれからどうしようかな等とツナは手持ち無沙汰な様子でラッピングされたチョコを弄びながら考える。と、その時。
「何か用?」
「うわああっ!?」
 突如後ろから声を掛けられて、ツナは口から心臓が出そうになった。思わず飛び退く。涙目になりながらも振り返って後ろを見てみると、そこには眉根を寄せた不機嫌そうな雲雀が立っていた。
「ひ、ひばっヒバリさん!お、おどかさないでくださいっ…!」
 ドクドクと収まらぬ心音を宥めるために胸に手を置きながら呼吸を繰り返す。完全なる不意打ちに、ツナの頭は一時混乱を極めた。
「君が勝手に驚いたんじゃない。で、何。何か用なの?」
 だが雲雀はそんなツナの様子も気にする事無く、彼女に再度そう問い掛けた。
 その姿は、何故だかわからないが明らかに不機嫌なものを醸し出している。雲雀の背から溢れ出るどす黒いオーラを感じ取って、ヒッとツナは後退さった。
「えっ、と……あ、の………」
「用があるなら早く言ってくれない?今、風紀の仕事で忙しいんだよね」
 怖い。いつも雲雀と会うときは何らかの恐怖心が芽生えるが、今日は理不尽なまでに怖い。まさか、チョコを渡しに来ました等と、言える雰囲気ではない。
 たらりたらりと冷や汗が流れ落ちるのをツナは感じた。どーすればいい!?どーしたほうがいいの、これ!?とツナは大きな瞳を雲雀に固定したまま固まっていた。
 雲雀は何も反応しないツナに苛立ったのかさらに言葉を重ねようとした。だが彼女が手に持っている物の存在を見とめて、その黒い瞳を眇めた。
「何、君もなの?」
「へっ?えっ!?」
「この学校は、校則で菓子の類は持ってきちゃいけない決まりになってるんだけど」
 言いながら、雲雀はツナの持っているチョコを不快そうに見つめる。ツナは何がなんだか分からず、はたはたとその大きな瞳を瞬かせた。
「だから2月14日は嫌いなんだよ。朝から放課後まで規律も守れない馬鹿な連中が大量発生するんだから。取り締まるこっちの身も考えてほしいよね」
「うえっと、あの……?」
「誰に渡すのかしらないけど、悪いけどこれは没収するよ」
「あ、」
 吐き捨てるように言ってから、忌々しそうに雲雀はツナの手からチョコを奪った。ツナは一瞬焦ってそれを取り戻そうとするが、しかしはたとそのチョコが雲雀に渡す予定の物だということに気付いた。
 没収といいつつもそのチョコは現に雲雀の手に渡っている。強引だが、これは雲雀にチョコを渡せたと言っても過言ではないのではないか。
 ツナはぱたりと動きを止める。その姿を、没収された所為で落胆したためかと考えた雲雀は、没収物を返すつもりはないと告げようとした。口を開く瞬間に、けれど微かな彼女の声を聞いて一旦言葉にすることを止める。
「………ぞ…」
「なに?」
「ど、どーぞどーぞ!没収でも何でも是非っ是非しちゃってくださいっ!」
 そーだよそーだよ!これでチョコを渡したことになるかもしれないしってか絶対なるよッ!とツナは嬉しさで頬を紅潮させる。
 面食らったのは雲雀の方だ。てっきり少しは反論されたり、恨めしげに見られたりするものかと思っていたら、まったく逆の反応を返されてしまった。
「………なんな」
 の、君。と繋がるはずの言葉は、しかし舌に乗せる前に消えていった。
 ぐるるるぎゅるー、とおよそ場違いな音が響いたからである。
「…………………今の、何?」
「す、すいませんっ!」
 雲雀にチョコを渡せて気が緩んだのだろう、昼食を抜いたにも等しい空腹状態のツナのお腹が豪快に鳴った。ツナは赤面しながら、お腹を押さえる。
「昼食、とってないの?」
「いっ、いえ。と、とったような………とってないような」
 曖昧に返事をして、ツナは一歩後ずさる。恥ずかしくてこの場から逃げ出したい気分だった。
 気を抜くとまたお腹が鳴りそうになる。それを阻止するために、ツナは目一杯お腹に力を込めた。
 雲雀は呆気にとられた様子から徐々に回復して、ツナをまじまじと見つめる。そしてその様子を訝しんだあと、深いため息を吐いた。
「こんなもの持ってうろつく暇があるなら、もっとちゃんと自分の身体を管理すべきじゃないの?」
「すっ、すみませ、ん……」
「ほら、教室戻りなよ。今ならまだ昼食取る時間もあるんじゃない?」
「は、はいっ…!」
 呆れた目線で見られ、厳しい口調ながらも教室に戻るよう促されて、ツナはこくこくと首を縦に振った。
 風紀委員長である雲雀の手前、むやみやたらと廊下を走ることはできない。ぺこりと雲雀に頭を下げてから、走らない範囲で極力早く、ツナは廊下を歩いていった。

 遠くなっていくツナの背を見ながら、雲雀は壁に寄り掛かる。手に持っているのは、先程彼女から没収したチョコレート。
 今日は朝からこのように没収してきたが、彼女のような反応を示す者は誰もいなかった。雲雀はぽんとチョコを上へ放り投げる。そして重力に従って落ちてくるそれをそのままキャッチした。
「…………変な子」
 もうツナの姿はない廊下の先を眺めながら、雲雀はぽつりと独りごちる。
 そしてくつりと笑みを浮かべてから、応接室の中へとその姿を消しさった。