泥んこジョーカー 前編



 春うらら。ぽかぽかとした陽気が身体を包み、心地のよい風が肌をなぜる。一日で一番温度が高い時間帯を約2時間ほど過ぎた今現在。外の空気は肌寒いということなく、むしろ今まで冷房も暖房も効いていない学校にいた学生達には程よい気温を保っていた。
 そのような暖かい気候の中。衣替えの季節には少し遠く、だからといって冬服では暑いこの時期。生徒達は皆一様に長袖のワイシャツにベストを着用していた。紺のベストは遠目で見ればずいぶんと濃く見え、下校の時刻には校庭は一瞬だけ黒で埋め尽くされているように錯覚することもできる。うごうごと蠢きながら家路に着こうとしている黒の生徒達。
 その中にツナもいた。校門から出て少し離れたところで、山本と一緒に歩いている。ツナの隣には山本が一人だけ。他は誰もいない。
 普段は学校内外にかかわらず仲のいい二人だが、実のところ、ツナが山本と二人で帰ることはめったになかった。それというものの、ツナはほとんど京子や花と下校をともにするし、山本と帰る場合もその時は必ず獄寺も一緒にいた。そもそも山本は部活に入っているから基本的にツナの下校時間と合わさることがない。だから今日のように、野球部の活動もなく、獄寺がイタリアへダイナマイトを仕入れに行き並盛中におらず、ツナが京子達とではなく山本と一緒に帰ることは希有な出来事なのである。
 とはいっても、共に下校することや今日が、ツナと山本にとって何ら特別というわけでも特別な日というわけでもない。ただ家に帰ろうと教室を出るときに二人とも一人だったので一緒に帰ろっかーという話になっただけである。
 からからと、くだらない話をしながら歩いていく。
 山本はクラスの人気者らしく話の話題に事欠かなく、ツナに色々な話を振ってくれる。ツナは長い間友達という友達がいなかったせいか、もともと自分から話を持ちかけるのは苦手だった。なので、山本と話すのは楽であったし、それにツナが聞き上手ということもあって二人の会話は楽しくテンポよく進んでいった。


 学校から離れて10分ぐらい経った頃だろうか。土手の上の舗装された道を歩いているときに、ツナの耳にきゃらきゃらと何やら楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「どうしたー、ツナ?」
 不意に立ち止まってしまったツナに、山本は不思議に思って振り返る。ツナは目をぱちくりさせながら土手を眺めていた。
「ん?いや、なんか楽しそうだなぁって思ってさ」
 彼女の視線を辿れば、そこには土手で遊んでる5〜6人くらいの子供たちの姿。小学校低学年の、おそらく2年生ぐらいの子供たちだろう。男の子も女の子も関係なく、男女入り交じって遊んでいた。
 正確に畳んだ段ボールをソリ代わりにして、2人1組で土手を滑っていく。綺麗に滑り降りていく子や、バランスを崩してゴロゴロと土手を転がり落ちていく子、中には危うく川に段ボールごと突っ込んでしまいそうになった子供もいた。
「へぇ、なっつかしいなー」
「山本もやったことあるの?」
「あぁ、やっぱあいつらみたいに小学校の頃にな。ま、俺ん時は段ボールじゃなくてゴミ袋だったけど」
 段ボール滑りに夢中になっている子供たちを見つめながら、山本は苦笑する。おそらく自分がこの遊びをしていたその当時のことを思い出したのだろう。まじ懐かしいのなー、とにししと口の端をあげた。ツナはそんな山本を目の当たりにして、素直にいいなーと羨ましく思った。
「そうなんだ。オレあーゆーことしたことないから全然わかんないんだよね」
 ツナもまた山本と同じく小学生を見ながら、今度は苦々しく笑顔を作った。今では女の子や男の子でも話せる人が何人かいるが、小学生の頃のツナにはそんな人もいなかった。それ故に“友達”と遊ぶなんてありえなかったし、段ボール滑りなどもってのほかだった。
 羨望の眼差しで、ツナは子供たちを見やる。とはいうものの、それは友達同士で遊んでいるということに対してであり、段ボール滑りに憧れを持っているということではない。今でこそツナは大切な友達はいるが、小学生時代はいないにも等しく、だからわーきゃーと仲良く騒いでいる小学生が少し羨ましくなったのだ。
 もっとも、ツナは羨ましいだとかそんなものは態度には微塵も出してはいない。ただ普段よりは幾分かぼんやりとしながら土手を眺めていた。
 子供たちを見つめるツナをどう思ったのだろうか。
 山本はツナをちらりと見やったあと、一つ息を吐きだしてにっかりと笑いかけてきた。
「なあ、ツナ」
「ん?何?」
「やってみるか?アレ」
「………………………………へ?」
 親指で子供たちのいる土手を指して山本は提案する。話の流れ上「アレ」とは段ボール滑りに違いない。山本の突拍子もない提言にツナは思考回路をぶった斬られてぱちぱちと目を瞬かせた。
 だがそうするあいだにも山本は早速土手を下りていって、子供たちに段ボールを借りられないか交渉しだした。いきなり段ボールを貸してくれないかと現われた年上の少年に、最初は子供たちも不信がっていた。だがやはりそこは山本の為せるわざか。すぐさま子供たちともフレンドリーな間柄となり、にこやかに笑いあうようになっていた。
「ツナー、いいってよー!」
 無事、段ボールを借りられた山本は少し離れた位置にいるツナを呼ぶ。ツナは目を瞬かせたまま、とりあえずは山本のところまで駆けていった。
 何で段ボール滑りをやることになってるのかとか本気でやる気なのか等の状況整理はこのさい置いておくことにした。
 土手の傾斜面に足を踏み入れる。草がくるぶしにあたってくすぐったい。ツナが山本を見ると、彼はちょうど子供たちから段ボールを手渡されているところだった。
「ほ、本気なんだ…」
 ありがとよ、と礼を言って段ボールを受け取ってる山本には聞こえないように、ツナはぼそりと呟いた。彼が子供たちの方へ向かっていったあたりで彼の言動が冗談だとは思ってなかったが、まさか子供たちがこんなに簡単に段ボールを貸してくれるとも思ってもみなかった。おそるべしかな、山本。ツナはひくりと口元を引きつらせた。
 また、後から来たこれまた年上の少女に小学生は興味津々らしく、彼らの視線がツナに一身に向かっていた。視線がかなり痛い。
 子供たちの好奇な目に負けて、ツナは少し後退る。
「よし、んじゃやるか」
 だが、山本はそんなことを気にしないで屈みながら段ボールを地面の上に置いた。段ボールが滑っていかないよう手で押さえ付けながら、けれど未だに自分の近くに来ないツナに首を傾げる。
「どした?」
「いやっ!そのっ、えっと…………オレ……す、スカート。そうっ!スカートだから!だから、これは、ちょ、ちょーっと、ご遠慮願いたいかなぁーって…」
 引きつった笑顔を浮かべながらツナはじりりと後退りしつづける。
 スカート云々の問題は女の子にとっては重要なものだ。しかしその実、比較的女の子意識に欠けるツナにとっては、それほど気にするものでもなかった。ただツナは、あまりの急展開についていけないために、何となく思いついたスカートという理由を口に出したのだ。
 だが山本は、あ、と間の抜けたような顔をしてから、恥ずかしげに頭を掻いた。
「あーーーーー。そりゃ、そうだよな。わ、悪ぃな………何か」
「い、いや、全然山本が謝ることじゃないし」
 たはは、と乾いた笑いが2人から漏れる。山本は段ボールを手に持ちながらすっくと立ち上がった。そしてその段ボールを子供たちに返そうとしたときに、ツナの服がくいっと何者かに引かれた。
「それ、やんないの?」
 下を向けば、段ボールを快く貸してくれた男の子がツナをじっと見つめていた。
「やりなよ、せっかくオレたちが貸したんだからさ!」
「そうだよ!それに絶対おもしろいよっ?」
 わざわざ段ボールを貸してあげたのに何もしようとしない年上の少年少女に痺れを切らしたのだろう。むぅと頬を膨らませた男の子や不思議そうな表情をする女の子がツナと山本にかけあった。
 じっとまっすぐに伸びてくる、どうして滑らないのだろうか聞きたい、純粋な子供たちの視線。けれどツナにはそれが、自分たちの遊ぶ時間を割いてまで段ボールを貸したんだからいまさら返されても微妙だ、それなら1回ぐらい滑ってもらわなきゃ自分たちの気が済まない、という無言の圧力にも見えた。
 あはは、とツナは苦笑いを零す。どうにかしてこの状況下から逃れる方法はないのか、冷や汗を垂らしながら考える。けれど子供たちの視線に堪えかねて、ツナはしばらくしたあと、がっくりと肩を落とした。
「わかった。やるよ、やります」
 手を半端な位置まであげて、白旗のポーズを取る。子供たちは、そうこなくっちゃ、とツナをぐいりと山本の近くまで引っ張っていった。
 周りの個性的で強引なメンバーの所為であまりそうは思われないが、ツナは基本的には本当に嫌なことにははっきり嫌だと言えるタイプだ。ただそれでも、自分より小さい子のお願いには結構弱い。家にいるチビッ子の影響からか、じぃっと澄んだ瞳で見つめられると、要求が相当なわがままでなければ仕方ないなぁと降参してしまう。
「いいのか、ツナ?その……」
 山本がツナを心配そうに見やる。視線には、嫌ならやめてもいいんだぞという提案と、先程1度ツナが断ったときの理由への懸念が含まれていた。言葉を濁しながら、気まずげに目線をちらりと彼女のその、ひらひらと揺れるスカートへとやる。それに気付いたツナは何だか申し訳ない気持ちになった。
「うん、まぁ、大丈夫だと、思う…………スパッツはいてるし。それに」
 ツナは何かを言いかけてから1度言葉を切って、へらりと苦笑を浮かべた。そしてそのあと伝えられた言葉に、山本はぷっと吹き出したあと、そっかと笑顔で応えた。
「オレ、1回やってみたかったんだよね。こーゆーの」