泥んこジョーカー 後編



「で、」
 周りでわぁーわぁーと騒いでる子供たちを遠巻きに見ながら、ツナは山本に話し掛ける。
「えっと、オレ、どうすればいいのかな?」
 子供たちの視線に負けて段ボール滑りを行うことに決めたが、具体的にどうそれをするのかがツナにはわからない。先程子供たちが滑っていたのを目撃したから“わからない”というには語弊があるかもしれないが、幼い頃このような遊びをしたことがないツナにはとっては、遊び方を知らないというのは致し方ない。
 子供たちがあーだこーだとアドバイスをくれるのに曖昧な笑顔を返しながら、敢えて山本に尋ねてみた。ツナの頭上に、幾数ものクエスチョンマークが浮かぶ。
 それと同時に、ツナの心の奥に微かな不安が浮き出てきた。遠くで見ているときは何とも思わなかったが、いざ土手の傾斜に足を踏み入れてみると、そこは思った以上に傾いていた。急斜面とはいかないまでも、それなりに鋭い角度を保っている。
 ここを段ボールで滑るのかと思いを馳せてみると、僅かばかりの恐怖と、段ボール滑りをまったく怖がらずに行っていた子供たちへの純粋な称賛が心を占めた。
「んなビビんなって」
 ちらちらと不安げに傾斜の角度を確認するツナを安心させるように、山本はからりと笑う。
「そんな構えるようなもんじゃねーから」
 からからと笑顔を浮かべながら、山本は再び段ボールを地面に置く。それを手で軽く押さえつつ、よっ、とその上に座った。そして少し後方にスペースを空けるように座りなおして、ちょいちょいっと指でツナを呼んだ。
「とりあえずツナはここに座って」
「う、うん」
段ボール上の空けられたスペースを指されて、山本の言うとおりにツナはすとんとそこに座る。その際にぐっと足の裏に力を入れることも忘れない。
 座ったことでスカートの中が見えてしまわないか幾ばかりか危惧したが、あいにくと周りにいるのは自分よりずっと年齢の低い子供たちであるし、一番見えてほしくない山本はすぐ前に座っていて、後ろを振り返ってもちょうどスカートの位置は死角になるはずだから、別に構わないだろう。
 今は自分や山本が地面に足をつけて踏みとどまっているから段ボールが下へと滑っていかないが、足を地面から離してしまうと一気に滑り落ちてしまう。それを考えるとバクバクと心音が早まって、ツナの身体にぶるりと武者震いが走った。
 幼い頃に親子3人で娯楽施設にはよく行っていたが、ツナはほとんど遊園地というものに行ったことがない。それ故に今彼女は、ジェットコースターに乗る前ってこんな感じなのかなぁー、と不安なわりには小規模なことを思っていた。
 それでも、緊張で心臓がドキドキするのには変わりない。少し怯えた顔をしたツナを揶揄する子供たちにはちょっとムカッときたが、ツナは、ははっと乾いた笑みを顔に乗せただけで受け流した。手をどこにやっていいのかわからず、ひとまずバランスを取るために、だらりと両腕をのばした状態のまま地面に付けてみた。
「んじゃ、しっかり掴まってろよー?」
 山本は幾らか後ろを向いたあと、べたりと地面に置いているツナの手を取る。そしてそれをそのまま自身の腹の方に回して、しっかりとツナの手に彼のベストを握らせた。
 暖かい手のひらがツナの手を包んで、そして離れていく。それにツナが、へっ、と驚いて足の力を抜いた瞬間。そのツナの驚いた感情も、それに付随した何だか妙な気持ちも、あっという間に霧散してしまった。
「うわ、わっ、わわ、わ、わあああああああああッ!?」
 緑色の傾斜面を、一気に滑り降りる。自重で加速するスピード。なびく髪。
予想以上の段ボールが滑り降りていくスピードに、ツナは驚いてぎゅむと山本にしがみついた。
 どんどんと土手の坂を下っていき、あと少しで河に突っ込むというその時に。山本は段ボールの前の部分を持ちながら足を地面に付けて、急ブレーキをかけた。ずざざっと土が削れた音が辺りに響く。その音が小さく弱くなったときに、ツナと山本を乗せた段ボールは、河の手前で見事に止まった。

 段ボールが土手を滑り終わったあと。ツナは手足が汚れるのもかまわず段ボールから降りて、よろりと地面の上に手のひらと膝を付けた。ぜぇはぁと肩で息をする。
 身体的にはまったくもって疲れはしなかったのだが、精神的には意外にクるものがある。どくどくと早まったままの心音を抑えるために、ツナはめいっぱい酸素を取ろうとした。
「だ、大丈夫か?ツナ」
 四つんばいになったまま動かないツナを心配して、山本が声を掛けてくる。彼女の顔前に手をかざして、立ち上がる手助けをしようとした。ツナはそれに気付いて、もう一呼吸おく。そして山本の手を借りながら、しっかりと立ち上がった。
「だ、大丈夫。ありがと」
 手を貸してくれたことにお礼を言いながら手のひらを離して、ツナは自分の膝に付いている土を落としていった。ぽろぽろと素直に落ちていく砂の粒。
 それがすべて払いきるというときに、ばたばたとこちらに向かってくる複数の足音が聞こえてきた。
「ねっ?おもしろかったでしょ?」
 ツナの方を見つめながら、土手の上でツナたちが滑るのを見ていた子供の1人がキラキラとした瞳を向ける。
 ツナは、うっ、と答えに詰まったが、それはさして問題がなかった。ツナが何か言う前に、子供たちの視線は山本に向かっていったのだ。
「すごいっ、すごいねお兄ちゃん!」
「なぁっ、どうやったらあんな川ぎりぎりで止まれるんだ?」
「教えて?教えてっ?」
 自分たちが滑っていたときは傾斜の途中で転んだり軌道が逸れてばかりだったのだろう。真っすぐに進み、なおかつ河のすぐ手前で段ボールが止まったのを初めて見た子供たちは、どのような技術でそのようになったのかが激しく気になった。山本の周りを囲んで、教えを請う。
「教えてって言われてもなぁー……」
 山本は苦笑を零しながら、頭をがしがしとかいた。教えてやりたいのは山々なのだが、教え方がわからない。というよりも、これは自分が小さい頃に積んだ遊びの経験からきているので、子供たちに教えようもない。
 山本は断ろうと思いつつ、困ったような笑顔を浮かべる。だが、子供たちも意志を覆さないようで、山本の制服の裾などを引っ張って必死に教えをねだっていた。
 数十秒の攻防のあと。がりがりと頭をかきながら、子供たちの勢いに負けた山本は譲歩案を提示してみる。それに子供たちは幾らか満足したらしく、ぱっと顔を輝かせた。地面に置いたままにしていた段ボールを拾って、ぐいぐいと山本を土手の上まで押していく。
 その様子を、ツナはぼうっと見ていた。まぁ自分には関係ないや、頑張れ山本、と他人事のように考えている。すると突然、ぐいっと誰かに手を引かれた。
「ツナも行こうぜ?」
「え、えっ、え……!?」
 自分は傍観するつもりでいたのに、山本に手を引っ張られたままツナは土手を上り終える。
 そして気付けばいつのまにか、ツナは山本や子供たちと一緒に戯れていた。


ゆるゆると、時間が過ぎていく。


 風が涼しいというよりは寒くなり、景色が橙色に染まっていく。その同色の空で黒い点が羽ばたきカァと鳴く頃に。ツナと山本は子供たちと別れた。
 家に帰っていく子供たちを土手で見えなくなるまで見送って、ツナは、はぁとため息を吐く。
「あぁーー、疲れた。うちにもチビたちがいるけど、あいつら相手にするより疲れたかもしれない」
「ははっ、そりゃ相当だな」
 肩に手を乗せてごきごきっと鳴らすツナに、山本は苦笑する。ツナの顔色は疲労に満ちていたが、しかしどこか楽しそうでもあった。
 こんな時間まで子供たちの相手をするということは、結局は何だかんだ言って、ツナも楽しかったのだ。こうして今は疲れたの何だの言っても、子供たちの前では決して文句は言わなかった。最後の方にはもう疲れを見せていたけれど、それほど子供たちをうっとうしがらず、適当に子供たちに付き合っていた。
「ツナってさ。いい姉ちゃんだよなぁー」
「へ?」
「つーか、いい母親になりそう」
「あはは、何それ。ってかこの年でそんなこと言われても嬉しくないから」
 笑いながらの山本の言葉に、ツナは苦笑いする。冗談だとしても、この年で母親が似合うというのは実に喜ばしくない。
「そんなこと言って。山本こそいいお父さんになりそうだよ」
 にんまりと笑いながら、ツナは山本の顔を覗き込む。実際、子供たちと遊んでるときの山本の様子は、年上の者として理想的だったように思う。彼自身に兄弟はいないが、その穏和な性格のせいか、子供たちのその捌き方はまさに見事だった。
「ははっ、確かにこの年でンなこと言われても嬉しくねーな」
 ツナの言葉に、今度は山本が苦笑いを浮かべた。ツナは、でしょ、とにししと笑って、手を天に伸ばして背伸びをした。そして山本の方を見て、あ、と呟く。
「山本山本、ちょっと屈んでくれない?」
 背伸びからもとの態勢に戻して、ツナはくいくいっと手招きをする。その手招きに誘われるように、山本はツナの言われるまま少し屈んだ。途端、山本の鼻をふわりと甘い香りが掠める。些か踵を地面から上げて、ツナは山本の頭へと手を伸ばしていた。
「なんか髪に草付いてるよ?………………ほら」
 緑色をした細長い草を見せながら、ツナはにこりと笑う。おそらく、子供たちと遊んでいたときについたものだろう。
「おっ、サンキュー」
 わりぃな、と笑って山本は礼を言った。それにふるふると首を振りながら、ツナは細長い草を手から放した。風に舞って地面と同化して、1本の草はすぐさま見えなくなっていった。
「なあ、ツナー」
「んー?」
「そろそろ帰っか」
「そうだね」
 もうこんな時間だもんねぇー、とツナはオレンジ色に染まった周りを見渡した。
 学校を出る頃とはまるで違う風景の色。
 結構真剣に遊んじゃったね、と笑いあって、2人は再度、家への道を歩きだした。




山ツナは友情とバカップルの間の微妙な境界線を、うろちょろしてるのが一番萌ゆります。